ペットの死が苦しく悲しいのは一言でいえばペットの死を受け入れられないから
そして受け入れられない理由は以下に分類される。
①ペットと一緒に過ごす時間を失ってしまった
これまで行っていたペットと一緒の時間、世話をする時間等の
日常を失ってしまったことにより喪失感を感じている
②ペットを失った穴を埋めることができない
①と似ているがペットの事を考える時間等心のよりどころを失ったことによる喪失感
③ペットに感情移入してしまっているから
死んでしまって可哀そう、死ぬ間際最後の苦しみを想像
④ペットの死因に納得できていない
平均寿命以下で亡くなった場合、事故死や満足な医療を行えずに死亡した場合等
④’ペットの死について自分が報いを受けていない
④の発展形。ペットの死に自分が関与していると思っている場合、
自分にその報いが訪れていない事への不満
自分がペットを傷つけてしまった、裏切ってしまったという自責の念
①と②について、寿命であれば自然の摂理として受け入れるしかなく、
自分(飼い主)のミスであった場合は「失ったのは自業自得」として受け入れるしかない。
対策としては新しいペットを飼う等、別の何かに執着すること。
新しいペットは亡くなったペットの代わりにはならないが寂しさを埋めることはできる。
③について、老衰であれば生き物は体の機能が衰えていく過程で
苦しみが生じるのは自然な事であることを理解し受け入れる。事故死等の場合は④と同様。
④について、自分(飼い主)が飼い主として至らなかったこと、そのせいでペットに
不幸な最期を与えてしまったことは事実であるが、それも起きてしまった事として受け入れるしかない。
そもそも野生では弱肉強食であり、人間も一部地域では戦争や犯罪で多くの命が奪われる等、
命にとって死とは本来身近であり理不尽なものである。
④’について、死んだ時点で意識が消失しているため自分(飼い主)が何を行おうがベットに伝わらない。
刑罰等法律による罰則は亡くなった者への贖罪というより社会に対するケジメの意味が強い。
亡くなった仔のためにできることは何もなく、何もしてあげられない事を事実として受け入れる必要がある。
ペットを死なせた自責として自分にペナルティを課す人もいるが、ペットに伝わらないので当然無意味。
ただし、復讐のため(ペットを死なせた自分への復讐・自己満足)であれば不毛であるが無意味ではない。
総評として、ペットの死については(満足いかない結果であっても)
その過程(贖罪できない事も)も含めて起きてしまった事実として受け入れる必要がある。
ただし、ペットの死で感じた罪悪感・後悔は捨てる必要は無く、むしろ自覚して生きていくべきだと思う。
ちなみに私はペットが亡くなってから毎日お経をあげています(完全な自己満足と理解したうえで)。