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日本史についてです。 卑弥呼=日巫女(太陽を司どる巫女)である可能性はありますか? 個人的な意見にはなりますが、日本では大昔、「ヒミコ様、ヒミコ様」と役職名のような
日本史についてです。 卑弥呼=日巫女(太陽を司どる巫女)である可能性はありますか? 個人的な意見にはなりますが、日本では大昔、「ヒミコ様、ヒミコ様」と役職名のような もので呼ばれていたのではないかと考えています。 つまり、「卑弥呼」というのは卑弥呼本人の名前ではなく、「巫女様」という役職に太陽の巫女という意味で「日巫女様」という形で呼ばれていたのかなと考えています。 現在でも、天皇のことを「陛下」という敬称や「天皇陛下」と役職名で呼んでいることから、当時かなりの権威と地位を保持していた卑弥呼に畏れ、もしくはお慕いして役職名で呼んでいたことはあり得ると思います。 (そもそも本名を知らなかったとかもありうる。) また、日本の歴史書に記載がないとミステリー化されることが多々ありますが、当時は文字もなく、歴史書に記載がないことは当然だと思いますね。 (漢字の本格的な輸入は400年ごろから、また歴史書の編纂は700年ごろから。) 自分の意見をまとめると、 ・卑弥呼は邪馬台国(ヤマト国)に存在した女王であり、鬼道的な催しと魏国との交流で大きな後ろ盾と権威を得ていた。 ・大きな国家(連合国)であったことから、四国説を採用すれば、徳島県一帯の周辺をを支配することで国家の礎を築いていた。 ・壹与(次代女王)の時代には内戦が収まったとあるため、鬼道と神に通ずる女性を以前から大々女性を指導者として君臨させていた可能性が高い。 ・この権威により連合国家を形成しており、かつ狗奴国と対立関係にあった。 但し、狗奴国とはジリ貧であったため魏国との交流関係を深め、狗奴国との戦争状態に終止符を打とうと画策していた。
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