平安時代に「政治の実権は天皇には無い」というのは、日本史の教科書にもそう書いてあるし、我々はみんなそう教えられて単純に信じこんでいましたが。
「光る君へ」のドラマをここまで見ていたならば、必ずしもそんなことはない、というのが分かったはずです。
この時代の天皇には、まだそれなりの発言権と、最終決裁権を持っていて、必ずしも藤原氏の言いなりではなかった様子がしばしば描かれていますよね。
関白も大臣もあくまで「天皇を後見する」「天皇の政治を補佐する」というタテマエで政権についているんで、天皇を無視して何でもやっていいってわけにはいかない。天皇の顔を立て、天皇を納得させながら上手く政治をやっていかなきゃいけないんです。
今週崩御した一条天皇だって、しばしば左大臣道長の方針に反対して、暗闘していたじゃあないですか。左大臣道長と微妙に立場が違う右大臣顕光(宮川一朗太)が、脇から天皇に接近して恣意的な人事を発令させたり、なんて事件もありましたし。何より、皇太子決定については死の直前まで一条帝と道長は対立していました。
そんなに単純な話ではないんです。これは時の天皇と時の関白との力関係などにもよりますが。何といっても天皇は天皇です。その気になったら、強いんですよ。やる気を出せば。
思い出してください。
三条天皇の兄・花山天皇(本郷奏多)は、即位するや否や「陣の定を停止する、意見は蔵人頭(藤原義懐、高橋光臣)を通じてしか受け付けない」と言い出します。
つまり「天皇親政」を宣言したわけです。
そして「荘園整理令」つまり藤原氏ら貴族の持つ荘園を取り上げて力を削ごう、という政策を実行しようとします。結果は抵抗にあい、藤原兼家(道長のオヤジ)を中心とした陰謀により、退位に追い込まれるわけですが。
三条天皇は、花山天皇の弟です。当然、即位したら花山のように、天皇の権力を回復しようと意欲満々なんです。なにしろ、この歳まで待たされたんですから。
道長は叔父ではありますが、距離がかなりある、はっきり言って疎遠であり、道長が早く自分を退位させたがっている、自分の孫の幼児(敦平親王)を天皇にしたがっている、ということを認識しています。「そうはさせるものか」と手ぐすね引いているんです。兼家の息子道長を退け、兄の仇を討つ、やる気満々なのは当然です。
手段は、ないわけではありません。藤原氏全体を敵に回すのではなく、上手く分断させる、つまり、道長と系統や立場が違う者を取り立てて、競合させることです。
先週までは、道長の異母兄、春宮太夫の道綱(上地雄輔)を取り込もうとしてましたよね。道綱は迷惑そうでしたが。こいつは権力闘争とかには最も向かない男です。
ならば、次は誰?
ここで注目なのが、三条の息子(敦明親王)の嫁の父、右大臣顕光、あたりではないかと私は睨んでいます。