1. 前回、同様の質問に米軍のソウル・サバイバー・ポリシーという従軍ルールによるモノだと書いた者です(BAはどの回答にも出ませんでしたが…)。
その時にソウル・サバイバー・ポリシーを説明しているWikipediaも載せて置いたので、読まれた方ならこのポリシーが法として制定されたのが1948年と分かると思い、それ以上の説明は話が細かくなるので、その時はWikiを載せるだけにとどめました。
仰る通り、ソウル・サバイバー・ポリシーという国防総省指令1315.15の「生存者のための特別分離政策」の制定は1948年です。
ただし、この政策の元となる軍部としてのポリシーはその以前から存在しており、それが法として明文化されたのが1948年という事です。
そういう意味で映画的な設定を言えば、ミラーの部隊のライアン救出は(法としては明文化される以前の)ソウル・サバイバー・ポリシーに基づいて行われたという解釈で間違いないと思います。
2. コレは1についての補足も兼ねさせて頂きますが、先の回答者さまがURLを貼られている1942年のサリバン5兄弟全員戦タヒは軍部のあり方に対して国民の注目(批判)を集める事になりました。
その時を初めとして軍部はあるポリシーを打ち出す訳ですが、その理由の1つはそのまま手を打たずに同じ過ちを何度も繰り返せば、軍部は国民からの信頼を失います。
国民の信頼を失えば、先に回答者されている方の仰る通り、軍部の権威も失い兵士の成り手もいなくなるというデメリットしかありません。
そこでその軍部が打ち出したポリシーというのが、映画ブラックホークダウンにまで引き継がれている
"No one gets left behind"(意味を重視した為、少し異訳になりますが)「決して仲間を見捨てるな」というポリシー。
コレがソウル・サバイバー・ポリシーの根幹だと思います。
実際、映画ブラックホークダウンでも映画プライベート・ライアン同様、このポリシーに沿った事は兵士達の間で行われており、一番、映画プライベート・ライアンに近く分かり易いシーンとしては、撃ち落とされ生き残ったブラックホークの一人のパイロットを救う為に二人の兵士が救出に向かっています(二人とも◯されてしまいますが…)。
3.アパムは最後まで敵であるあのドイツ兵を信じようとしていました。敵兵であれど同じ人間だからです。
自分達の作戦の性質上、生かしておくとあとあと問題になると判断し◯す事を決断した上官であるミラーに逆らってまで敵兵であるドイツ兵士を助けようとしたアパム。
ただあのドイツ兵はそのアパムのその気持ちを裏切ってしまったのです。
それは映画内では観客にも判り易いように描かれています。
その一つとして、映画的な話になりますが、仲間の元に戻り、再度、ミラーの部隊に仲間と共に攻撃をしかけていたドイツ軍兵士の中であの兵士だけヘルメットを被っていません。
コレは映画制作に必要なビジュアル・デザインの視点誘導という手法で説明がなくてもあの兵士が件の兵士と判ります。
アパムの優しさを利用して命を救われた事をいい事に、仲間と共に(嬉々として)、アパムの仲間たちに銃を撃ちまくる件のドイツ兵。
それを見たアパムが彼だけを撃ち、他のドイツ兵達は逃した事でも、上記の理由でほぼ間違いないと思います。
4と5は難しいですね。
この二つはあくまで私の解釈となりますが、ミラーは自分の事を部下の兵士達の前で、従軍する前は国語の教師だと言ってましたね。その辺りにヒントがあると思います。
子供達を育てる教師という職業についていたミラー。
戦争は人を育てるのとは真逆の行為。
その辺りのミラーの葛藤からくる心理的な事が原因であると共に、その彼の心の葛藤を表現したかったのだと思います。