●何故冤罪死刑はダメなのか● 先日、知恵袋で冤罪と死刑制度についての質問に回答しました。
●何故冤罪死刑はダメなのか● 先日、知恵袋で冤罪と死刑制度についての質問に回答しました。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11299100216 死刑廃止論を主張する人の中で冤罪を理由(論拠)とされている人は少なくないのですが先の質問者さんに、 ・何故冤罪死刑はダメなのか ・何故冤罪死刑リスクを認めないのか と問い合わせたところ「難しくて答えられない」と言われてしまいました。 そんなに難しいことなのでしょうか。 死刑制度に於ける冤罪問題について、 いわれのない罪で社会から非難され、いわれのない罪で被害者家族に恨まれ、信じてもらえない苦しみ、そんな思いを冤罪死刑囚にさせてはダメだ、冤罪被害を受けたその当事者は何の罪も犯しておらず無実であるというのに、これまでの平穏な日常と自由とを不当に奪われ、拘束されまま生きて元の平穏な生活を取り返すことも叶わず無念のままにその生涯を終えてしまう、 私は死刑肯定派ではあるが決してそれを “仕方のないこと” などとは思っていません、どうにかしなければならないことだと考えています。 どうにかしなければならない問題なのでそれはどうにかできる方法でなければなりません。 そこで「死刑制度の廃止」という方法についてよくよく話を聞いて、咀嚼して、じっくり考えてはみたのですが、 「やはり死刑制度の廃止では意味がない、駄目だ」 という結論に至り、現状冤罪を論拠とする死刑廃止論を否定しています。 決して「死刑制度は必要だから、維持し続けねばならぬから冤罪死刑は仕方がないんだ」なんてことを言っているわけではないのです。 死刑制度を廃止にさえすれば「冤罪になど遭わなければ失うことは無かったであろう尊厳や平穏な日常が取り返すことができる」というのであれば、冤罪を理由(論拠)とした死刑制度の廃止にも一考の余地があろうかと思います。 が、死刑を廃止にしてみたところで取返しが付かないことはなんら変わらない、何も好転することはないのではないか、 日弁連が支援した無罪が確定した事件一覧を見るに、死刑囚という立場のほうがむしろ無実を認められやすく死刑制度を無くしてしまった場合のほうが無実が認められ難く取返しが付かなくさせてしまうことになるのではないか、 そのような考えから私は冤罪を理由(論拠)とした死刑廃止論を否定しているのです。 あくまでこれは、私の「何故どうして冤罪死刑がダメであるのか」という考えに基づく死刑制度廃止否定(無意味)論なのであって、もし私と廃止派さんとで「何故どうして冤罪死刑がダメであるのか」という箇所の考えが違ってくるならば、もしかしたら冤罪を理由(論拠)とする死刑制度の是非の結論(考え方)もまた違ってくるのやも知れません。 なので、そこを明らかとするべく一度のみならず何人もの廃止派さんらに「何故どうして冤罪死刑がダメであるのか」と訊いて回ってはいるのですが、廃止派さんらはなかなかはっきりとした回答をしてくださりません。 よってここに質問という形で広く廃止派の皆さんにお伺い致します、 あなた(廃止派さん)は何故どうして冤罪死刑はダメであると思っているのか、 あらぬ罪で死刑判決を受けてしまった被害者を死刑制度の廃止という方法でどのようにしてあげたいと思っているのか、 廃止派さんらの考えを教えてください。 宜しくお願いいたします。
どなたでも自由にご回答ください。 2024/06/17、16:02時点で4名の廃止派の方がこの質問に回答してくださっております。 が、死刑廃止論者というのは何故にこうもこんなのばっかりなのでしょうか。 これはもう【死刑廃止論者の特徴】だと言ってしまっても良いことなのでしょうか。 皆様の忌憚のない意見をお聞かせください。
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