世良修蔵に偉そうに振る舞われて、怒って殺したというのは当事者としては失格ですよね? 交渉に当たった家来があんまり賢くなかったのですか。 元から、やる気満々だったのでしょうか。

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・官軍に対し、仙台藩京屋敷の人間が国元の許可を得ず、独断で官軍に協力すると申し出る。 ↓ ・官軍は仙台藩の申し出により、会津藩平定に大藩である仙台藩の兵をあてにし、少数の兵での奥羽鎮撫軍を派兵 ↓ ・中央情勢に仙台藩は少数の奥羽鎮撫軍を軽視し、また藩中枢は会津藩に同情的だった、財政難で軍事行動を起こしたくない、また兵も財政難で改が行えず旧態依然としたものであったため、官軍の会津藩平定の要求をのらりくらりと交わし続ける ↓ 奥羽鎮撫総督から会津藩へ、恭順すれば寛大に扱うと正式通達が出される ↓ この通達を受け仙台藩は、官軍の顔を立てつつ会津藩への軍事行動を避けるため、会津藩を恭順させようと中介役を務めて会津藩と関宿会談を行なう

ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しく解説いただきありがとうございます。

お礼日時:2024/6/4 21:31

その他の回答(1件)

戦をしたかったのは世良を送った新政府の方で、奥州側はまんまと、その自作自演、に乗ってしまった、という見方があるようです。 実質トップの参謀として世良を送り込んだ新政府側(薩長)の要人は、最初から、性格的に世良がやらかすことはわかっており、案の定、世良はやりたい放題やらかし、仙台藩士の堪忍袋のオがきれる→暗殺される→仙台、会津など奥州が新政府に対して奥羽越列藩同盟を結ぶ→それを口実に、とくに因縁のある会津を武力で鎮圧したい新政府が戦にもちこむ、という筋書きです。そうだとすると、世良は哀れなスケープゴートでした。まあ、自業自得でしょうが。

ありがとうございます。 世良と言う人が、実際にドラマに描かれているような性格だったのであれば、世良と言う人も自分の役回り演じてキッチリ会津を戦争に引き込んだわけですか。 逆に仙台藩の行動が、戦うのか戦わないのかよくわからないですね。 会津は世良の死によって引きづりこまれて戦ったのはわかりますが、仙台藩のほうはグダグダでわかりにくいですね。中途半端な印象がありますね。