回答(5件)
北海道大学は1876年に明治新政府が設立した我が国最初の高等教育学位授与機関です。その後、北海道帝国大学を経て現在の北海道大学になりました。 設立時に日本には大学は存在しませんでした。そこで北海道開拓の為に近代的かつ高度な専門知識を教授する農学校を作る判断を行いました。 当時、招かれたのは、ウイリアム・スミス・クラーク博士で、マサチューセッツ大学の学長。 食事、寄宿舎、模範畜舎、軍事教練施設(これ現在の時計台です)を整えて、課外では道徳の基礎としてキリスト教の聖書を説き禁酒を徹底させ規律のある生活を築きました。 その蓄積が現在の北海道大学札幌キャンパスです。ここが開拓のスタート地点のため、周辺に街が出来て、駅が出来て、都市化したので、現在は高層ビルが南にあり周囲はビル街です。都市が北大を中心に形成された為ですね。 明治新政府の設立という歴史的経緯から、第二次世界大戦では一時的に大本営が構内に置かれました。クラーク像のロータリーを挟んだ反対側に大きな石碑が残っています。また2020東京オリンピックでは北大構内がマラソン競技の公式会場となりました。このように主要国家行事に北大は登場します。 まとめると 1)北大は我が国政府が設立した近代高等教育学位授与機関 2)北大を中心に北海道が開拓された為、結果的に大都市のど真ん中に位置している。 3)設立時に西洋文明を取り入れて設計された為、後々の建物も倣った。 4) 150年前からの札幌扇状地の自然が結果として大都市の真ん中に残った 5) 維新政府以来の国家直属の大学であり、大本営やオリンピックなど主要国家行事に用いられる為に、積極的に予算措置が行われてきた。 (制限とは真逆) という特別な事情です。国家予算は国民の税金で成立していますので堂々と見学してくださいね。見学ルールや食堂利用方法は北大ホームページ参照。 北大公式ビデオ 北大冬景色 周囲の立地環境も解ります https://youtu.be/iQq-p6FuNUc
ちなみに、維新の際の賊軍の伊達家は新政府の敵です。各地で帝国大学誘致運動が起こった時に、地元が資金を負担する条件を示したら旧伊達藩はホイホイ乗りました。 そして帝大設立資金のツケを仙台に回して、実際には新政府が設立した札幌農学校を、東北帝国大学農科大学として設立。札幌の大学に政府は集中して資金投入しています。 その頃、仙台はペンペン草が生えていました。賊軍はハメられて金だけ取られたという訳です。 いまだに150年前の因縁があり、新政府設立の主流派大学に対して怨みを持ってる人が変な書き込みをするので、困りものです。
古くからあり、古くから土地があり、古い建物が残っているからでしょう。 狭いところで建物の床面積を増やそうとする、古い建物を壊して高層建築にする必要があるので。
大学側が意図的に観光地にしてるワケではなく、『敷地の一部を市民に開放』してるだけですよ。 https://www.hokudai.ac.jp/sub/inquiry/rule.html 旅行者が、勝手に観光地にしてるだけです。
知恵袋ユーザーさん
質問者2022/12/16 15:48