噺家の名跡って、噺家亡き後は遺族のものでしょうか?名跡は誰のもの、という質問と回答を目にして、受け継がれた「名跡そのもの」の権利って、ほんとうに噺家亡き後は遺族のものという権利があるのでしょうか?
噺家の名跡って、噺家亡き後は遺族のものでしょうか?名跡は誰のもの、という質問と回答を目にして、受け継がれた「名跡そのもの」の権利って、ほんとうに噺家亡き後は遺族のものという権利があるのでしょうか? 過去の判例等を確認したわけではないですが、以下の質問のお二人の回答が主張されておられる内容を目にして「?」を感じました。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13184114038 このお二人の回答を目にして頭に浮かんだのは、首相夫人でした。首相夫人はもちろん、首相の内助の功で、プライベートな面で支えています。ただ、もちろん政治に関して発言力はありませんし、あたかも影響力があるように「忖度」があった・なかったで昨年は大きな問題となったほどです。 噺家にとって、師匠のおかみさんって、師匠をプライベートに支えるだけではなくて弟子に対しても身の周りの世話をしたり、内弟子になると師匠以上に身近な存在のケースも少なくないでしょうね。弟子の成長を願ってあれこれと心遣いをされて、弟子にとって、時によっては師匠以上に大きな存在だと思います。 もちろん師匠撒亡き後は、CDやDVD,著作等の版権は遺族のものですね。口演の記録等をCDやDVD化,或いは放送しようと思えば遺族の許諾が必要になります。 ただ師匠等から受け継がれた「名跡」に関して、歴史上では一継承者でしかない噺家の遺族が「名跡の権利」を主張できるものでしょうか?もちろん「〇〇代目△△」という、個人を特定できる名称としては、名誉棄損等を含めて個人的なものですが、〇〇代目のない、名跡としての「△△」を包括的に継承して、名跡を継承した噺家亡き後は遺族が、名跡に関して権利を行使できるのでしょうか? 噺家の生前に口約束だけで「弟子の◇◇に襲名させたい」という意向を表明しても、それが法的に証明できなければ(裁判で証明できなければ)、相続(?)した遺族が権利を持って、遺族の意向で他の噺家への襲名もあり得るのでしょうか? 逆に遺族に名跡の権利があるとすれば、その名跡に対して関心も意向もない遺族に対して、いちいち確固たる許諾を求める必要があるのでしょうか? そしてかなり以前から襲名されないままの名跡に関して、その名跡を使いたいと思っても、最後に名乗っていた噺家の遺族やその子孫を探し出して許諾をもらいに廻る必要があるのでしょうか? ある程度期間が経過した名跡の襲名において、おかみさんがなくなっていて、複数の子どもで「誰に襲名させるか」という見解が異なった場合は、どうなるのでしょうか?版権に関しては、複数の子どもたちの間で分け合っていても、名跡の襲名に関する意見が異なる場合、それを集約するのは誰でしょうか? あれこれ考えると、ほんとうに名跡は遺族のものなんですか?と疑問を感じましたが、如何でしょうか?版権と違って、代々受け継いだ名跡って遺族が、ほんとうに権利を主張できるものでしょうか? 実際に、そのようなことがあった・あるようで、それが「名跡は誰のもの」という質問の背景になっているのでしょうね。 落語に宗家のような存在が共通認識や慣習としてあれば、名跡は宗家に属するという捉え方も可能ですが、落語に関しては、そのような慣習はないと思います。ただ、正蔵の名跡に関しては、宗家のようなふるまいがあったように思いますが、今後も正蔵の名跡に関して、同じようなことが繰り返され、他の名跡に波及すれば、それは落語の世界にも宗家が存在するということになるのでしょうね。でも現段階では「落語界の宗家」はまだまだ世間が認めているような状態ではないでしょうね。 あれこれと書きましたが、ほんとうに噺家の名跡って、亡き後は遺族が名跡に関して権利を持ってしまうのでしょうか?