鴻門の会で項羽が行った樊噲への処遇は、賞賛と試胆が相半ばしたものであったと思います。
樊噲が武装したまま宴席へ乱入してきた事で、その度胸や忠義心を褒めたたえ、一斗の酒や豚の生肉を面前で食べさせることで、その度胸が本物かどうか試したという事です。
盾の上で豚の肩肉を切っているように樊噲は武装して幕舎に入っているのですが、これは相当な無礼で処刑されても仕方のない行為でした。
項羽の同族である項壮でさえ、「剣の舞を披露してもよろしいですか?」と項羽に許可を取っていたように、武装したまま入るという事自体が既に大きな罪になる事が常識でもあったわけです。
「項王按剣而跽(項王は剣を持って身構えた)」とあるように、最初は警戒し「お前は誰だ!」と誰何していた項羽でしたが、それでも髪を逆立て目を見開いて睨みつけている樊噲の度胸を認めて「壮士である」と褒めています。
この「壮士」とは「勇敢で生命を顧みない男」のようなニュアンスで使ったわけですが、これは処罰を恐れず自分に対して萎縮もしない樊噲への褒め言葉だったと思います。
ただ、その後の酒・肉の振る舞いには樊噲を試す意図があったのだと思います。
死を覚悟している状況で飲食ができるかどうかを試したという事ですね。
この時代もそれ以降も豚肉を生で食べるような食習慣は中国にはありませんので、これは二重に樊噲を試す意図があったのだと思います。
樊噲が酒を飲み干して肉を食べてしまった事で項羽はもう一度「壮士」と呼んで褒めているのはそれが試し・期待であり、その期待に樊噲が応えたからこそ褒めたと解釈する方が正しいのではないかと思います。
項羽の人間性を見るに、このような迂遠な罰を与える事は考えづらく、死を賭した行動を行った樊噲を評価し、更に試してみて再評価したと考える方が自然であると思います。
だからこそ、高く評価した樊噲の陳弁を黙って聞いていたのではないでしょうか?
一方で、樊噲が採った一連の行動は、「沛公劉邦を助ける為」に行われたもので、仰る通り「項羽に必死の覚悟を見せつけるため」だったでしょう。
「入与之同命(中に入って沛公と生死を共にする)」と言っているように、自分の命を顧みずどんな事をしても劉邦を助けるという覚悟を示す為に、大酒を飲んだり生肉を食べたりしたという事です。
この時の樊噲の心情は想像するしかありませんが、項羽を説得する事で劉邦を許してもらおうと考えており、命じられた事なら何でもやって見せると考えていたのかもしれません。
直接的には項壮の剣の舞を阻止する為に幕舎へ乱入したが、項羽が思いのほか自分を気に入ってくれたようなので、命令に従い話を聞いてもらおうとしたというところが正確なのではないかと思います。
劇的すぎる展開の鴻門の会ですが、それは項羽・樊噲・范増・張良などの強烈な個性を持つ登場人物によって描き出されたものだと思います。
どの登場人物が欠けていても、史実が違っていたと考えると、更にドラマティックな出来事だったのではないでしょうか。