「読売巨人軍」という名称は、野球規約上の正式な球団呼称である「読売ジャイ
アンツ」を日本語に意訳したものです。「ジャイアンツ」は球団のニックネームです。
もともと読売新聞社が昭和10年に日本初のプロ野球チームを立ち上げたときの
球団名は、「大日本東京野球倶楽部」(野球クラブ)という大変長い名前だったの
ですが、球団結成直後に行なわれたアメリカ遠征中、現地で同球団の世話役を
務めていたフランク・オドール氏(大リーグのニューヨーク・ジャイアンツに所属していた元左腕投手)が、「“大日本東京野球倶楽部”という名前はなんとかならないか。宣伝ポスターを作るにも名前が長すぎて字が入らないくらいだ。私が昔ニューヨーク・ジャイアンツにいたから、とりあえずチームのニックネームは“トーキョウ・
ジャイアンツ”にしたらどうだろう」と球団側に提案し、球団の親会社である読売新
聞社もこの提案内容について、「渡米中に行う対外試合だけは、とりあえず“東京
ジャイアンツ”でやってよろしい」とこれを承諾したため、ここに初めて「ジャイアン
ツ=巨人軍」というニックネームが誕生することになりました。
予定では、アメリカ遠征を終えて日本に帰国した後、あらためて球団の愛称名を
正式に決める予定だったのですが、チームが日本に帰国したあと読売新聞本社
内で開かれた株主総会では、球団愛称名の第一候補とされていた「東京金鵄軍」
(きんしぐん。大日本東京野球倶楽部の三宅大輔監督が発案した愛称名)よりも、
東京巨人軍の方が役員の間で評判がよかったため、結局ジャイアンツ=巨人軍
というニックネームが、そのまま球団の愛称名として正式に採用されることになり
ました。以来、読売ジャイアンツ=巨人軍とい名前が、球団の呼び名として広く
定着して現在に至っています。
昔の日本では、巨人軍に限らず、野球チームの名前に「軍」という言葉をつける
ことが一種の流行になっていたようです。
たとえば、昭和11年に現在の日本プロ野球の前身である日本職業野球連盟が
結成された当時、連盟に加盟していた7球団中、「東京巨人軍」、「名古屋軍」
(のちの中日ドラゴンズ)、「阪急軍」(のちの阪急ブレーブス、現在のオリックス・
バファローズ)、「大東京軍」(のちのライオン軍。ライオン軍はその後、球団名を
太陽ロビンス、松竹ロビンスに変更。昭和28年に松竹ロビンスが大洋ホエール
ズに吸収合併されて消滅。ライオン軍時代の親会社は歯磨き、医薬品製造の
ライオン)、「名古屋金鯱軍」(のちに東京セネタースを前身球団とする“翼軍”と
合併して消滅。親会社は名古屋新聞社で、他球団である名古屋軍とは無関係)
と、名前に「軍」をつけた球団が実に5球団を占めていました。
そもそも、巨人軍の前身で日本初のプロ野球球団である「大日本東京野球倶楽部」にしても、もともとは、昭和9年にアメリカ大リーグ選抜チームが日本に来日
したさい、これと対戦するために結成された日本選抜チームである「全日本軍」
がその母体となっていました。ちなみに、このとき来日したアメリカ大リーグ選抜
チームについても、当時日本のマスコミは「全米選抜軍」と呼んでいました。
大リーグ選抜チームが来日した昭和9年や、日本で職業野球が始まった昭和11
年当時、日本国内では5・15事件や2・26事件が発生し、さらにシナ事変(日中
戦争)が勃発するなど、まさに軍隊が世の中を動かす軍国主義まっ盛りの時代
でしたから、あるいはそうした世相がプロ野球チームの愛称名にも反映されて
いたのかもしれません。
ただ戦争も終わり、戦後各球団の愛称名から「軍」という言葉が消えたあとも、
巨人軍だけは唯一「軍」という言葉を球団名に使い続けたことについては、はた
してそれがなぜなのか明確な理由がよくわかりません。
あるいは、巨人軍という球団が「日本プロ野球発祥のルーツ」であり、さらに当時
巨人がプロ野球の中でもっとも強い人気球団であったという事情なども、ひょっと
したらそのあたりのことに関係しているのかもしれません。