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魏志倭人伝には、30位の国の名前が出てきます。国というくらいですから、それぞれの国に王がいたと考えられますが、王について書かれているのは、邪馬台国(あるいは倭国)の女王・卑弥呼と、それに敵対する狗奴国の男王・卑弥弓呼、あと伊都国の王だけです。伊都国の王については名前は書かれていません。ただ、伊都国については「王」と書かれているだけで、女王とは書かれていないので、男王だった可能性の方が高いと思われます。 卑弥呼と卑弥弓呼、名前が良く似ていることは間違いないところですが、二人しか王の名前が登場しないので、なんとも言えないというのが本当だろうと思います。 卑弥呼については、名前ではなく、尊称あるいは敬称だった可能性が高いと思います。「日の御子」から来ているといわれます。 台与あるいは壱与については名前だろうと考えられますが、女王になってからは「日御子」と呼ばれた可能性があります。 王というのは、中国的な概念で、古代の日本で「王」という呼び方があったとは考えにくいところです。その意味で、古代日本では、王に相当するトップの人を、女であれば「ヒミコ」、男であれば「ヒミクコ」と呼んでいた可能性はあります。 また、狗奴国の王については、たまたま卑弥呼に似た名前だったので、似たような文字を当てたということも考えられます。 卑弥呼を天照大神に比定する考えがあり、そこから敵対するスサノオノミコトを狗奴国の王・卑弥弓呼にあてる考えも成り立ちます。 というわけで、卑弥呼と卑弥弓呼は姉弟かあるいは血縁の関係があるのではないかとする説もあるようです。 しかし、この頃の日本について書かれている唯一の文献である魏志倭人伝からは、残念ながら正確なことを知ることは出来ません。
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質問者からのお礼コメント
魏志倭人伝からは、残念ながら正確なことを知ることは出来ないわけですね。 こんな疑問ですらよくわからずに学者の人は研究しているのですね。 勉強していて、疑問に思った中学生にも説明できないわけですね。この質問は当然の疑問だと思います。
お礼日時:2011/8/11 21:55