平安時代の出家とは。 古文の勉強をしていて思ったのですが、当時の人々にとって『出家』とは一体どのようなものだったのでしょうか?

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丁寧にありがとうございました。 皆さんの回答でイメージを掴むことができました!!

お礼日時:2011/4/8 23:20

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2011/4/2 17:49

出家(しゅっけ、pravrajyaa、प्रव्रज्या (sanskrit)) とは、世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。 仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、受戒(じゅかい)し、沙弥・沙弥尼となることを言うが、具足戒を受けた比丘・比丘尼を呼ぶ場合にも使う。在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。剃髪した僧侶が多いとされるが、中には剃髪せず、ごく一般的な髪型をしている者も数多く存在する。 仏教では、出家者は在家者を教え導き、在家者は出家者を経済的に資助する者とされ、出家の精神的優位が説かれたが、紀元前1世紀頃に始まった大乗仏教においては、菩薩(ぼさつ)による衆生済度(しゅじょうさいど)の観点から、在家の意義も積極的に認めた。 中国では、仏教の出家主義は儒教の側から「孝」などの社会規範を乱すものとしてしばしば非難を受けた。また唐代以降は、国家経済的見地から出家行為自体を統制し、出家者数を国家的に管理する度僧制度が整えられた。

平安時代でも身分や前期と後期では意味合いが異なってきます。 普通は出家すると俗世と縁を切るということですが公家や法皇などは出家しても権力を持っていましたし農民などは寺に入ったりしていました。 また僧兵となったものもいます。 武士でも出家して戦で死んだ人々の菩提を弔うものもいました。 立派なことではありますが、全員が出家しません。 家族からすると働き手がいなくなるが、仏に仕える人がいると極楽にいけるなどの考えがありますので迷惑ではないと思われます。