宇垣中将は、よりにもよって降伏後に、部下を引き連れて沖縄の海岸に特攻というか自爆していますが、もはや戦争は終わったのに部下を自分の自殺に道連れにするというのは、問題にならなかったんでしょうか?

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お礼日時:2010/4/19 20:53

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批判する人も居ますし逆の人も居ます。 しかし、大半は若い命を散らせたという事で批判しておりますね。 私自身も彼の立場に立てば、これから生きる若者を道連れにするのは忍びないです。 誰かを道連れにしろと言うのなら、あの戦争を起こした者達を道連れにする事でしょう。

宇垣中将は本来自分だけ単機で沖縄に突入するはずでしたが、 多数の部下が”私も行かせてください”と懇願したため 結果的に部下を引き連れての突入になってしまいました。 下の方へ >、宇垣中将が、第六航空艦隊司令長官として、特攻隊員を送り出す時に >「諸士だけを死なせはしない。最後は私も特攻する」 これは牟田口と並ぶ陸軍の大馬鹿司令官、富永中将だったと思います。 富永は最後の一機で特攻どころか台湾に逃げ帰って温泉にのんびり入ってみたいですね。