戊辰戦争と西南戦争の違い

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*戊辰戦争 幕末です 東北地方の徳川系旧幕臣と薩長軍(西郷さんはこっち/堂々の勝ち組)との戦い。 倒幕派(薩長)と「それが嫌だ」といった者の戦い (徳川好きと徳川嫌いの戦い) 会津辺りから函館辺りまでが主戦場です。 *西南戦争 維新後です 薩摩(+南九州地方)の武士が起こした反乱的内乱 西郷さんは薩軍(悲しい負け組)です。 維新後、地位の低下が激しく必要とされなくなった武士の反乱。 (旧武士階級が大不満。「俺達を大事にしろ」) 鹿児島~熊本が主戦場です。 ------------------ 「戊辰戦争」 が、あったから(もしくは、戊辰戦争の結果) 「西南戦争」 が起きたと覚えてください。

・戊辰戦争 徳川慶喜が大政奉還をしました。 ですがこれは、彼が政治から身を引く決意をしたワケではありません。 幕府自体を潰したことで「倒幕」運動を排除し、旧幕府メンバーで今までのように政治をしようとしました。 しかし、朝廷はそれを見越し、慶喜(幕府)の官職・土地を奪います(辞官納地)。 慶喜はこれに怒り、旧幕府を集結させて、新政府&薩長の軍との戦いを開始しました。 しかし薩長は江戸時代の巨大藩、オマケに薩摩は独自に、いち早く海外の武器などの技術を得ていました。 結果旧幕府軍は敗退し、ここに幕府は完全滅亡します。 1868~69年の事でした。 ・西南戦争 出来たての政府は非常にグダグダでした。 特に征韓論(朝鮮を武力で開国させる)をめぐる論争は、早速の政府内の対立を招きました。 征韓論を唱えるメンバーは、西郷隆盛を使節として派遣することを決定しましたが、帰国した岩倉使節団が征韓論に反対、派遣も撤回されます。 こうして1873年に、征韓論を唱えた西郷らは「政府はダメだ」と一斉に政府を辞め、下野します(明治六年の政変) ここから、下野したメンバーは不平士族の乱を起こす者と自由民権運動を起こす者に分かれます。 この時不平士族の乱をする者となったのが、西郷隆盛です(自由民権運動は板垣退助ら)。 1874年に佐賀の乱(江藤新平)、1876年には神風連の乱(太田黒伴雄)、秋月の乱(宮崎車之助)、萩の乱(前原一誠)と、不平士族の乱が相次いで起こります。 そして不平士族の乱の締め、最後となるのが西南戦争です。 ある意味、新政府vs旧政府って感じですね。 西郷らは熊本城を攻めるも、ここを落とせずにすぐさま乱は鎮圧されてしまいました。