日本の満州事変が侵略と判断され、批判されたのはなぜですか? ヨーロッパも同じように清やその他の国を侵略していたはずではないのですか?

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後発帝国主義国の日本が米英仏の先発帝国主義国の植民地利権を侵害し、再分割を画策したからです。日本同様に後発帝国主義国だった独の東欧への進出、伊のエチオピア進出も侵略行為と批判糾弾されてました。米英仏の帝国主義政策が一段落し、アジアアフリカあたりの分割や第一次大戦後に米英仏主導で決まった世界新秩序の破壊と再分割に日独伊が公然と挑戦したら、既得権益を手放したくない米英仏が阻止に動いたって事でしょ。

自分のことは棚に上げて、他人のことは避難する。 ってのは、国際政治あるあるです。 中国が清朝だったころ、欧州は中国に租界、租借地、イギリスはガチで領土(香港)をぶんどるなどしていました。 それは、辛亥革命後の中華民国でも残っていました。 この半植民地状態が解消されるのは、共産党政権=今の中国になってからです。 ただ、第一次対戦のあとは、異民族の支配や、植民地支配が良くないという雰囲気が広がります。 あくまで、雰囲気で、決定的なルールではない。 ただ、アメリカのウィルソン大統領と、ソ連のレーニンという、のちの2代超大国が民族自決の原則なんて言い出したので、その雰囲気がどんどんん強くなて、欧州もそれに逆らえなくなった。 米ソの狙いは何かというと、1つは正義の味方のフリをしているだけ。 もう1つは、既存の帝国=ライバルをぶっ潰すため。 実際、オスマン・トルコ帝国とオーストリア帝国がバラバラになりました。 本当は、ソ連もロシア帝国の版図を維持しているんで、ソ連もバラバラになるべきですが、そこは「言わないお約束」です。 ただ、この民族自決の近い、「綺麗事」をもっと早くに言い始めたのは、アメリカです。 それも、中国についてです。 欧州や日本に向って「中国を侵略するな。主権を尊重せよ」と言い出したのです。 もちろん、その狙いは、欧州や日本の既得権益を横取りすること。 中国市場を自由化する(門徒開放政策)ほうが、アメリカの利益になると考えたからです。 でも、そう上手く行かないと分かると、アメリカも「じゃぁ、俺にも中国の港湾都市で租界を作らせろ。」とか言い出すんですけど(笑)

(日本の満州事変が侵略と判断され、批判されたのはなぜですか?) 中国東北部は、中華民国領だったからです。 また、1931年には、すでに国際連盟規約と不戦条約が世界に存在しており、日本は国際連盟に加盟(しかも常任理事国)、不戦条約に批准していました。 よって、日本の満州事変は、国際連盟加盟国である中華民国の領土に日本が侵略した国際連盟規約違反でした。また、不戦条約では、他国への侵略を禁止していたので、日本の行動は不戦条約にも違反していました。 また、1922年に中国と他8国で条約を結んだ、九ヵ国条約という条約が存在し、他8カ国は、中国の主権を尊重することが求められていました。 日本は、その他8各国だったので、中華民国の領土である中国東北部に侵略した日本の行動は、九ヵ国条約に違反していました。その他7カ国が、日本の行動を九ヵ国条約違反だと非難しました。 (ヨーロッパも同じように清やその他の国を侵略していたはずではないのですか?) 第1次世界大戦で、中華民国は戦勝国だったので、第1次世界大戦よりも後に、中華民国に侵略した国は、日本以外にはありませんでした。 普通、直前の戦争で同盟国だった国に侵略するような国は無いんですよ。 どういう訳か、日本は中華民国を第1次世界大戦の戦勝国とはみなさなかったようで、侵略はじめましたね。当時の主権者だった昭和天皇の認知機能に異常があったようです。 なお、ドイツは、中華民国を戦勝国と認めて、中華民国と結んでいた不平等条約を平等条約に直しましたよ。 第1次世界大戦での同盟国で戦勝国の中華民国に侵略した日本(天皇)の考えがおかしかったです。 もし、1931年に日本以外の国も中華民国に侵略していたと思っているなら、誤りです。自分でも調べてみましょう。 もし、1931年に中国に侵略していた国が日本以外に見つかったら、補足に書いて教えてください(笑)。 1931年以降に中国に侵略して新たな租借地植民地を得た国など一切存在しませんよ。

中世から近世に至るまでの間に世界の価値観が大きく変わった 17~19世紀には通った理屈が20世紀には通らなくなってた それだけなら価値観の違いで通せたかもしれないが、日本はその価値観の変化については支持の立場、つまり民族自決や植民地の開放という立場で明治維新以降ふるまってきてた 清と列強との関係も清の領土自体は認めたうえで関税自主権や租界などの権利を得る分には日本も揉めなかったが、満州を中国領土から切り離して独立(事実上日本の植民地化)させるというのは当時の国際感覚から言っても暴挙だった

1922年のワシントン会議で九カ国条約が締結され、中国の主権尊重、領土保全が約束されたから