本居宣長は30年もかけて、古事記を研究し古事記伝を作成しました。空想部分が多いのに、どうして研究し続けた理由は何ですか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

賀茂真淵が松阪を訪れていたからですね。それから30年もかけて大事業成し遂げたのですね。納得しました!!

お礼日時:1/29 16:52

その他の回答(1件)

質問者さんは鈴屋をご存知ですか。 宣長さんが長く研究し続けた場所です。狭く質素ですが、彼の性格がよく分かる空間ですね。 彼は幼少から儒学をほっぽり自らを知らす和歌に興味持っていた。日本地図を書いたりもしたと記憶しています。 彼は作られた学問ではなく、自らを知る為の学問を心から欲求していたのでしょう、それが、興味、そして単なる興味というベールで包む事はできない、やはり学問と言うべきか、道を目を開け進んだんじゃないかと私は思います。 古事記とは当時でも読めなかった書です。 江戸の知識層は漢意に染まっていたから、それに対する思いもあったかと想像します。 これは私の考えですから、貴方のお考えの助けになれば良いと思います。