最近のクラシック音楽鑑賞ではピリオド楽器の音が嫌だという意見が少なくなってきたと思います。

クラシック128閲覧

2人が共感しています

ベストアンサー

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん回答ありがとうございます。 ただ僕はピリオド対モダンの話をしたいのではなくて、ピリオド楽器嫌いを公言するクラシック音楽愛好者が以前は多く存在したのと同じように、モダン楽器にも登場時は同種の拒否反応があったかどうかを聞いているのです。その点を考慮してベストアンサーを選びました。

お礼日時:1/15 21:20

その他の回答(5件)

まず、バッハをピアノで演奏するというのは、 これを例えるなら、昔の韓国において、 綺麗な女性がみんな中国に貢がされたことで女性の数が足りなくなり、 「あのような事」が日常的に行なわれることにより、DNA変化による、現在の火病の原因となったこととか、 (回りのもので代用する) 終戦後、男が足りなくなったので、 後家さんの性欲の充足のために、間男が活躍したのと同じであり、 今の日本には、チェンバロが全く普及していないために、 致し方なく、代用品としてピアノが使われているに過ぎないということです。 チェンバロとピアノは、全く違う楽器ですから、 どんなにピアノ人口が多いといつまても、 ピアノにチェンバロの役目は果たせないのです。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 といった、長いものに巻かれろ的な、卑怯な日本的発想で、 ピアノをチェンバロの代わりに相応しいと言う人は、 精神的民度が極めて低いと断言され、指を差され嘲笑されて然るべきです。 さて、弦楽器・管楽器・チェンバロの古い新しい (古いとはモダンであり、新しいのが古楽器と、少々ややこしいですが) についてですが、 私は、楽器の音色の違いとか、奏法は、 演奏する者の自由であるから、どうでも良いと思っています。 問題は、いかにバッハを自分に受け入れるかであり、 結婚相手の女性が、日本人でも韓国人でもベトナム人でもウクライナ人でも、何の問題もないことと同じです。 唯一の問題は、 古楽器の人達は、例のへんてこなリズムと、画一的に、スピードが早いのを、たいした論拠もなく正当化し、 それを回りに押し付けようとすることです。 いかにも進歩的思想のオランダらしい、左翼的な考え方だと思わないわけにはいきません。 しかし、古楽器を使って、へんてこなリズムであっても、 バッハに帰依する心を持った演奏は、我々の心を捉えます。 結果的に、聴き手が自分をしっかりと持つことが重要なのであり、 結局は、音楽の演奏というのは、 演奏者の心と聴き手の心が通じ合うかどうかしかないと思います。 https://youtu.be/oPxlPkfv0NU?si=CsaDl9vveE6TyNby

それはピリオドの是非を論ずる機会が減ってきたから、収まるところへ収まったからではないかと思います。好きな人は聴くだろうし、そうではない人は聴かない、それだけのことで、ピリオドが以前よりモダンにとって変わってるようなことはないと思います。 いろんな試みが活発に行なわれるのは悪くないと思います。時が経てば・・・というお話で、これはあらゆることに言えることです。 バッハなどではピリオド以外聴いたことない人も今ならいるでしょう。それでもピリオドはピリオドでいろんな演奏があるのはモダンと変わりません。当方はチェンバロとリュートを別にすればピリオドは聴かないのでその辺りの事情はよく知りませんが。 ピリオドとモダンの境界線もそこまでクッキリとあるわけではないと思いますけど。だからシェアのような数字も出しようがないでしょう。 私見によれば、ピリオド信者があえてなのか知らずになのかは別にしてスルーしてるのは聴衆の耳は復刻できないことと、演奏会場も当時を再現することはできないことによるライブでの音の貧相なこと。つまり昔の王様や貴族がお城やお屋敷、教会の礼拝堂などで展開していた音楽を現代のホールで再現することができると本気で考えてんの?とは思います。 まあ、考古学の出土品を博物館へ見に行くようなもの、それに価値がないとまでは思いませんが。

少し前までは権威的な素晴らしい奏者がいたのでアンチも多かった 今は小粒奏者が増えて端境期に入り、 あえてアンチする意味が薄れている と感じます またそのうち有名なピリオド奏者が現れれば、ネット上での論議も復活するように思います

このカテで以前フォルテピアノの演奏についての論争があったのは覚えちょります。 質問者が「フォルテピアノで演奏する意味が分からん」的な意見で、それに対する反論があった...(逆だったかな?) 最後は質問者のほうが論破されて、なんかの捨てぜりふを吐いて行ったように覚えちょります。 なにせ昔のことで、自分は見てただけなのであまり記憶には残っておりませんが。 ちなみに私の意見としては「ピリオド楽器による演奏があってもいい」という立場です。 例えばバッハのキーボード曲にしてもチェンバロでもいいし、ピアノでもいい。シンセサイザーやコーラスでやっても構わないと思ってます。(ただ和楽器での演奏はちょっと自分の好みには合いませんが) 結局好みの問題なので、〇〇でないと嫌だと言う人は〇〇だけ聞いてればいいだけの話で殊更他人の好みにケチをつけて回るような態度は見苦しいだけということになります。