キリスト教の場合その様な事を問い合わせる人が幼児の場合が
多い為、「真実です」と回答する事になってる様です。
日本では成人になって「桃太郎は本当にいたのか」とか
「かぐや姫さんは月にいるのか」とは問い合わせませんが、
キリスト教の場合成人になっても
イエス・キリストは本当に復活したと思ってる人がいます。
一般社会では成人に対して「言葉として」とか
「信者の心の中で」とか「霊的に」と言う物ですが、
キリスト教ではその様な言い方ができない人が多いです。
客観的に復活の記事の真偽を検証したいのであれば
警察の事件捜査の様に目撃者とされる人の反応や証言を
調べたり、痕跡を調査するのですが、キリスト教徒は
そう言う事を一切やりませんので、腹の中ではフィクション
だと認識してるんでしょう。
同じ復活記事においても、パウロのコリントス書簡15章の
様に確実に霊的に復活して、次第に弟子達に及んだ話は
今流に言えばイエスのユダヤ教会に対する反骨精神が
弟子達にも備わってきたと理解できるんですが、
福音書の復活記事は純粋に幼児向けの童話ではないかと
思います。