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神秘的なことというのが大変好きです。 神秘的なことというのは、それが科学的な証明ができないからこそ、神秘的だと思うのです。

回答(5件)

失礼ですが、質問者さんの了見が狭くなってしまっているように思いました。 内容的に「科学的に証明されていないといって何でもかんでも否定するのは了見が狭いと思う」という事なのは分かるのですが、その思いが強すぎるせいか「神秘的」という言葉を狭く解釈したり、その"狭い解釈"に基づいて『そういう彼ら』を定義しているところが了見が狭くなっているように見えた理由です。

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自分は、神秘的なものが存在しないのではなく、神秘的な説明を信用しないという立場。 一見神秘的に見えても、科学的に説明(証明は出来ないが、神秘的な説明も全く証明してはいないので、科学の側も説明できればそれで良い)が出来るならそれは神秘ではない。 サイババの物質化も、単なる手品で説明できる。 系全体の重量をはかった状態で、「物質化が出来る=系全体の重量が増加する」のなら大したもんだが、それは不可能でしょう。

料簡が狭いと言うか 科学的な思考の出来ない人ですね・・ 科学的な思考ならその不思議な現象を追求しようとしますが それもせずに無いと言い張ります。 いわゆる文系の○○ですね。

サイババのいわゆる物質化現象は、科学的な説明はなかなかできないでいましたよ。今はどうか知らないが。

ただ単に料簡の狭さだけなのかな。神秘的体験も体験してみないとなかなか分からないのでその体験が全く無ければ或いは不思議だと思う記憶や想像が無ければそう思ってもおかしくはないかとは思います。 不思議が多すぎて不感症気味な私とどっこいなのかも知れません。神秘や奇跡を不必要に追い求めるよりはいいかと思っています。

護摩たきを待っていたら上からスゲー圧がかかってきたから思わずそう言ってしまったら、連れがえ?そうか〜と。 何でこの変なのに普通に受け答えできるんだ?と不思議。 私がまだまだだからなのか?

僕が小中学生の頃はまだ映画館の傍に派手なポスターや看板が設置されており、一際目を引いたのは1968年成人向け映画の「女体の神秘」と言う直球過ぎるタイトルのポスターでした。 そのデザインは、神々しい貝や肉壁の隙間から下界の光を垣間見てる様な摩訶不思議な世界が描かれており、当時の私は非常に観てみたいと興味をそそられたのですが、それは到底無理なことであり、今となっても当時の成人洋物B級映画はまったく現存しないので不可能であるのです。