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お金を稼ぐ事をこの社会は道徳の様にいうけどお金を稼ぐ事は人を利害の対象としか扱わない寧ろ善くない生き方では?

回答(5件)

お金の本質は「頑張って作物を育ててくれてありがとう代」とか、「私の代わりに牛丼作ってくれて、お皿を洗ってくれてありがとう代」とか、「遠くから燃料運んできてくれてありがとう代」みたいな、労働の対価です。 人間はエネルギーがないと、労働どころか何にもできないです。ご飯を食べて、それがエネルギーになって、元気になって、労働して、労働した対価としてお金が支払われて、そのお金でまたご飯を買って、ご飯を食べて、またエネルギーになって労働できる。 エネルギーを使って労働して価値を生み出し、生み出した価値の対価としてお金をもらう。つまりお金もエネルギーの一種なんですね。 もしも稼ぐことだけに執着して、人を利害の対象として、損得でしか扱わなかったら、人間関係が終わります。 お金は人が運んでくるので、短期的には稼げたとしても、長期的にいい関係は続かないので、結局うまくいかなくなるんですね。 お金だけあっても豊かな人生にはならないのは、人間関係は「人間性」とか「思いやり」とか「信頼」みたいな、お金では買えない、目には見えない豊かさも必要だからです。お金持ちの方は、人間関係は特に大切にする方が多いですよ。

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お金を稼ぐことは道徳ではない。憲法に書いてある。勤労の義務、と。 憲法に違反するのはよろしくないのでは? そして。ヒトに利を与え、自分も利をとればよろしいのです。 あなた様は、日々の糧をどのようにして得ていますか?

お金を稼ぐことを道徳のように言うのは聞いたことないです。 お金を稼ぐとは対価となる労働や商品を提供する事です。 人生の時間は限りがあるので、誰でも付き合う人は取捨選択しています。

お金を稼ぐことを道徳のように言いません。お金を稼ぐ=お金をもらえる価値のあることをやっていることが道徳にかなうことだとは評価されます。 例えばファンドが企業を売り買いして稼いでいますが、やり方によっては反道徳的という評価をすることがありますよね。 カネを稼ぎさえすればいいわけではないという意識はあると思います。 私はあるメーカーで商品企画の仕事をしていて、会社が稼げるように考えていましたが、稼ぎ過ぎることにとても強い疑問を持っていました。しかし、もし稼げないと会社が製造販売してお客様に喜ばれている商品を続けられなくなり、それは人の幸せに反することになると考えるようになり、利益は会社がサービスや商品を提供し続けるために必要な分だけ確保できるように設計することにしていました。 お金を稼ぐのは他人の財産を奪うことではありません。いただく金額よりも価値の高い労働なりサービスなり商品なりを提供できるようにしたいと大半の人は考えていると思います。

松下幸之助が、同じように悩みました。 金儲けは、逆にだれかを不幸にしてるのでは? 悩み抜いて、自分なりに結論を出しました。 従業員を幸せにして、安くて良いものを世に溢れさせ、この世から貧乏をなくそう。 これをそのまま鵜呑みにしてもよいし、あなたはあなたなりの結論をだせばよいです。