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古文において はべ(る)めれ のように、くっついてる上の部分が消えるのは助動詞である なり めり の2つの時だけですか?

文学、古典19閲覧

回答(1件)

いえ、そうではありません。 結論だけ述べるのであれば、音便無表記は、様々な形が存在しています。 A 少納言の乳母といふ人あべし。(源氏・若紫) B 死し子、顔よかりき。(土佐日記・二月四日) C 心の内に思ひはべしを……。(源氏・若菜) Aは後ろに続く語が「べし」の例です。「あるべし」の「ある」が撥音便無表記になっていますね。 Bは稀な例ですが、教科書にも出てくるような有名な例です。 「死にし子→死んじ子→死し子」と変化した例で、やはり撥音便無表記です。 読むときは「シンジコ」と読みます。 Cは促音便の無表記例ですね。 「思ひはべりしを→思ひはべっしを」となるところが無表記になっています。 また学説上、諸説あるものとしては次のような例もあります。 D 恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ(古今526) E やや、まかぬるもよし(枕草子33) F 上も御殿油近く取り寄せさせたまて(源氏・横笛) G とりどりに生ひ出でたまける。(源氏・夕霧) Dは「ならし」とありますが。多くの辞書はこれを「なるらし」の転とだけ説明しています。 しかし、この「なり」を撥音便の無表記とする説や、「なり」の形容詞変化だとする説もある例です。 Eは「まかりぬるもよし」となっている本文もあります。一方で、「まかぬる」を正しい本文として、これを撥音便無表記と説明する立場もあります。 Fも本文によっては「たまひて」と「ひ」を補ったり、「たまひて」の約と説明したりしています。 Gも同様で、「たまひけり」ではないかとする説もあります。 しかし、FやGの「たまて」「たまけり」をウ音便の無表記とする説もあります。 このように音便をめぐっては、学説の分かれるものを含め、多くの例が存在しています。 当時の発音が完全に再現できない以上、どこまでが音便の無表記(つまり実際には発音されていた)と考えることができ、どこからが無表記ではない(つまり表記通りに読まれていた)と考えるのかは分からないことも多いのです。 ただ、学説上でも意見が分かれるものを高校生に問うとは考えづらいです。 大学入試に向けてという実用上の問題としては、ラ変型の活用に「なり」「めり」「べし」が続くような形が分かっていれば十分だと思います。 『平家物語』などであれば、中古和文にはない音便無表記も出てくると予測されますが、高校生レベルでは注がつくと考えられます。 事実、私が高校時代に用いていた参考書を見ましても、撥音便無表記はあっても、促音便の無表記については記載がありません。 以上をまとめると、次のようになります。 1 ラ変型活用+「なり」「めり」「べし」の撥音便無表記が分かれば十分である。 2 ただし、それは実態として他の音便無表記がないことを意味しない。言語現象としては多様な無表記の形があることを知っておく。 3 特に、土佐日記の「死し子」や促音便の無表記など授業で扱ったものは、その都度、確認しておくと良い。 このような回答になるでしょうか。 ご不明な点がございましたら、改めてお尋ねください。

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