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岡本太郎はドメスティックな芸術家でありながら日本の「画壇」と対立。その画壇の上にあるのが日本芸術院という国の栄誉機関ですから、あれだけ画壇攻撃をした過去を見れば叙勲など想定外というか遡上にすら上りようがないと思います。 実際、文化功労者や勲章コースは日本芸術院のメンバーかその推挙に準拠していますので。岡本太郎は長く日本美術界からの評価は極めて難しい人でありつづけました。 -------------- 今でこそ「反逆児」など好意的に取られますが岡本が本格的に美術家として活動する戦後50年代~70年代は画壇からのバッシングとタブー視は極めて強かったのです。晩年はコマーシャルやテレビ番組に敢えて道化師のように露出し世間から「芸術プっ」と揶揄されるような姿を演出、同時に知名度だけは肥大化していった姿があります。 岡本太郎は実際に大知識人であり真に文化的教養を持った人でした。これだけは岡本批判の画壇も異を唱えることはなく、彼の紡ぐ文章は大いに敬意と尊敬を持たれてきましたが、当時の知識人にありがちな大衆への過度な期待こそが岡本太郎の迷走を生んだのではないかと感じてしまいます。岡本が発するエリートの悲哀は現代から見るとなかなか辛いものがあります。 岡本は殆どの人は美術に関心などないということを理解しようとしなかった(出来なかった)のであり、それが彼の孤独を加速させ晩年の道化になったのかと思わざるを得ません。そして知で紡ぐ言葉に溺れてしまったのかなと。 しかし知名度だけはテレビというかつての本流メディアの露出により肥大化、死後は遺族の尽力もありますが大芸術家というイメージに容易に変換された岡本太郎です。海外では無名であり、かといって日本美術界に君臨かというと画壇からは無視されているという実情が知られていないという点、21世紀の現在は名前だけは誰もが知っている、世界でも有名なはず、日本を代表するはず、なぜ文化勲章ないの?と思われるのではないかと思いました。 ----------------------------------- 現在、日本で現代アート(現代美術)の美術家といわれればまず思い浮かぶのは村上隆とか草間彌生とか奈良美智とかこのあたりだと思いますが、彼らは日本独特の「画壇」とは無縁の創作家です。欧米に渡り西洋美術史の文脈上にあるグローバルな現代アート上で批評・評価され、後に逆輸入で日本で知名度を得た人たちです。草間彌生は「海外で実績と評価を得て日本で活動する日本美術家」として叙勲した人です。一方、岡本は草間彌生より18歳年上で戦前に渡仏。戦争で頓挫し以降はずっと日本で活動するも戦前のフランスで西洋美術の先端を体験し、それを日本に啓蒙しようと旧態の画壇というシステムと対立したという姿があります。 画壇というのは20世紀初めから、独自の発展を遂げてきた日本の美術公募団体の総称です。日展、二科展、院展。それぞれ仲良くはないですが現在は何度か改組を経て今に至り、これらを統べるのが日本芸術院で文科省管轄のお役所的上意下達の文化です。それが美術界に今なお現存し、この世界はいわゆる現代アートとは交錯せず日本のみで通用する価値体系の文脈上にあります。 明治大正から代わり映えないような写実や風景画などを愚直なまでに踏襲する画壇の世界観はグローバルな「現代アート」とは全く別世界であり、ヴェネチアヴィエンナーレやドクメンタとはまるで違うわけですが、この日本の特殊性を啓蒙しようとしたのが岡本太郎の情熱の源泉であり、同時に岡本太郎が世界的美術家になれなかった要因でもあったのかなと思っています。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:1/11 19:23
その他の回答(4件)
岡本太郎は従軍中の苦い思い出もあったし、官僚制を批判していたから、天皇から授与される文化勲章の対象にはならなかったと思う。 (「芸術は爆発だー!」と言って、天皇につかみかかるかもしれないし、そこまでしなくても報道陣の前で突拍子ないことされたらマズいし・・・と思う) ちなみに従軍中に上官の肖像画を描いたことがありますが、戦後に上官宅に保管されていることを知った知人に観に行こうと誘われましたが、「書かされた絵だ。見たくもない。」と断っています。 https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=119502
AIは前衛芸術家だからと言っていますが 同じく前衛芸術家を自称する草間彌生氏は受賞されています 二科会に関わって居たので、 主流からかけ離れてはいません アジア・太平洋戦争時は 入隊して上官の肖像画を描いているので 反体制ではありませんし 何より大阪万博での大役を仰せつかったのですから 体制側と言えます 但し、 文化功労賞及び文化勲章のお声がかかっても 断ったでしょうね 熊谷守一も勲章辞退しています 美術家は毎年一人くらい勲章授与されていますが そのうち何人を知っているか、ですよね ですから、 文化勲章に価値を求めても、仕方がないのでは
AIからのお助け回答
岡本太郎は日本を代表する前衛芸術家の一人ですが、文化勲章を受賞していません。その理由として以下の点が考えられます。 ・岡本太郎の芸術は当時の主流からかけ離れた前衛的なものであり、評価が分かれていた。伝統的な日本画や洋画とは異なる独自の表現方法だったため、一般的な評価を得るのが難しかった。 ・戦後の混乱期に、岡本太郎は反体制的な芸術活動を行っていた。権力側からは批判的に見られていた可能性がある。 ・岡本太郎自身が、権威や名誉に対して批判的な姿勢を示していた。勲章受賞を望んでいなかったかもしれない。 このように、岡本太郎の芸術性や活動が当時の主流からはかけ離れていたことが、文化勲章の受賞に結びつかなかった大きな理由だと考えられます。しかし、現代では岡本太郎の芸術的業績は高く評価されています。
過去のベストアンサーを参照してAI(GPT-4o)が回答!
岡本太郎が文化勲章を受賞していない理由は明確には分かりませんが、彼の独自の芸術スタイルや思想が影響した可能性があります。岡本はフランス政府から芸術文化勲章を受章するなど海外で高く評価されていますが、日本の文化勲章は特定の基準や選考過程があり、彼の革新的なアプローチが伝統的な枠組みと合わなかったのかもしれません。
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