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騎士と武士の違いについて教えてください。 ※私の理解 ●騎士=戦う貴族、武装した貴族、王の配下としての一国一城の主。

補足

戦闘員としてのカテゴライズではなく、身分社会のポジションについての質問です。

世界史 | 日本史161閲覧

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Q「騎士と武士の違いについて教えてください。 ※私の理解 ●騎士=戦う貴族、武装した貴族、王の配下としての一国一城の主。 ●武士=貴族の用心棒にもかかわらず、なし崩しに領地を得て、諸侯乱立の戦国時代。」 騎士も武士もその起源については諸説ある状態なのですが その諸説すら似ています。 ①両者「貴族(皇族)」を始祖とする戦士階級。 藤原氏、源氏、平氏も「天皇」の子孫でした。 また西洋貴族も王族や元老院格の子孫を名乗りました。 ②両者単に「騎乗する権威」を持った戦士階級を指し血筋に拘らず低い身分でも「武士・騎士」と呼んでいる。 (日本では地侍・土豪。西洋ではミーレス・郷士など) ③ローマ派兵時代にローマ軍の属下となった地で「戦士叙任儀式」を行った際の子孫。日本では平安朝時代に朝廷の軍門に入って行った地方領主たち。 こんな感じなので①の説が主軸ですが②③などの諸説までもが似ているのです。 Q「●武士=貴族の用心棒にもかかわらず、なし崩しに領地を得て、諸侯乱立の戦国時代。」 これは間違いで そもそもがこの「貴族の用心棒」であった平安時代の「侍・さぶらい」までもが「官位・五位~六位下」の「下級貴族」でした。 『なし崩しに領地を得て、諸侯乱立の戦国時代。』と書かれていますが これを実際に行っていた「越前・朝倉氏」なども天皇家の血筋を引く「日下部氏」の末裔でした。 「薩摩・島津氏」は「惟宗氏」の末裔で「近衛荘官」といった関白家の郎党でした。 こんな感じで「貴族の用心棒」と言える物では無いのです。

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騎士は発祥的には領主貴族に忠誠を誓って認められた戦闘員。 一国一城の主ではありません。 立場の差で騎乗出来る騎士と出来ない騎士も? それでも騎士は騎士ですけど。 全員が騎乗していた訳では無いと。 *単に騎士と言っても騎乗して戦う戦闘員という意味と、 領主貴族でも騎乗して戦う事もありましたから、 そういう人達は城持ちの領主貴族であり騎士とも言えます。 ですから騎士≒一国一城の主という括りは間違いでしょう。 城持ち≒国主では無いですから。 何人もの城持ち貴族を支配下に置いた頂点が国主(国王)と。 単に騎士という言葉も実は広い意味が含まれます。 ===================================== 武士の『発祥としては』ざっくりそんな感じとされていますよね。 貴族の配下から自主独立した、と。 武士階級が実力を付けて来た、付けていた時代には貴族が 支配していた土地の所有者としての位置・地位を実力で 奪い取った⇒この『実力』とは単に武力だったり、有力武士が 朝廷などに働きかけ(金銭などを手土産に)土地の所有者としての 地位を認めて貰うとか色々と。 武士も騎士同様に騎乗を認められた者とそうでない者が 居た様ですね。それでも武士には違いないですが。

=書き漏れ= 騎乗出来ない武士の配下(下)には雑兵・足軽が=下っ端兵士。 足軽も戦場を渡り歩く(傭兵的な)者や土地の農民などから 徴兵された者など色々あった様子。

個人的な考えです。近世で比べると、 騎士:武装した貴族。Knightの称号を持つ者 武士:武装した公務員(江戸時代) かな。武士って物騒な存在ですね

ご回答ありがとうございます。 用心棒=派遣が正規雇用されて公務員化した、みたいな話ですね。 おもしろい! 役人が武装しちゃダメですよね。

騎士:自分で戦わない、指揮する領主。 武士:単に兵士の意味。 騎乗兵は騎で数え付属歩兵は徒士で人で数える。 騎馬兵数えると全兵力わかる。 そもそも戦闘方法違うので比較出来ない。

中世騎士の成立がいつかは諸説あるのですが、黎明期10世紀頃の騎士は働かずとも自分を養い戦闘訓練に時間を費やし、装備を調える財力があれば、誰でもなれるものでした。 この時期の騎士は領主に雇われるただの武人であり、最初から貴族だったわけではありません。ただ、戦功によって成り上がることはできたようです。 十字軍が始まると、騎士は教会から神の戦士と認められ、その称号を貴族が欲しがったことから貴族化が進んでいきます。13~14世紀頃には成り上がれるようなものではなくなり、上級貴族の子弟がその称号を独占するようになり、騎士は戦う貴族となりました。 ということで成立過程がいくらか違います。 大きな違いは騎士が主君と同時に神に仕えること。 その装備も、例えば剣は十字架を象徴するなど、信仰と関連付けられました。 また、騎士は従軍義務が年間40日しかなく、それ以上の従軍は報酬支払いなど条件によるなど、主との関係も日本の武士とはずいぶん違います。