1968年頃まで日本人はみんなお腹を空かせていた?ハラヘッタが合言葉だった!? その後外国との貿易が盛んになりカラーテレビや自動車の輸出と引き換えに

補足

そうでしたね。その後コメの品種改良が進みコメ余りも発生 1971年には米の生産調整 しかし1960年は総理大臣が貧乏人は麦を喰えと言った 1960年ころからベビーブームの子供たちが中学校を卒業し始め 金の卵として都会へ集団就職 その方達が高度経済成長を担った ーー1968年はベトナム戦争特需で日本が潤い始めた頃。 餓死者が大幅に減り 朝鮮戦争特需で戦後の悲惨な状況は脱したが 利益は韓国の経済復興、中立国への準賠償金、役務賠償原資に充てられて余り生活は良くならなかった。 製造技術の復興が財産として残り ベトナム戦争特需を独占出来き東南アジアで飛び抜けた発展した。 「1968年がその起点年になる。」 タイ、フィリピンでは風俗特需に 今でも両国は風俗繁栄 日本の製造工場はその後中国へ移転 ーー戦前生活は豊かでした。 敗戦後はきびしかった ーー僕の親は1958年生で、論より証拠、 お客様の、「もうお腹いっぱい」「食べられない」を 全て遠慮と捉えるタイプだった ーー1964東京五輪以降は日本人は総中流化に向けて邁進 ーーでも、「腹減った~」が口癖の方は、1985年頃まで多かった?

日本史 | 家庭菜園165閲覧

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ありがとうございます。 こちらに他の御回答をまとめさせて頂きました。 ーーーー昔の日本は貧しかったですよ 途上国でした 朝鮮戦争、戦争特需で豊かになりました ありがとうございます。 ーー1968年はベトナム戦争特需で日本が潤い始めた頃。 餓死者が大幅に減り衰弱死と言い換えられた。 朝鮮戦争特需で戦後の悲惨な状況は脱したが、特需で得た利益は韓国の経済復興、中立国への準賠償金、役務賠償原資に充てられて余り生活は良くならなかった。 製造技術の復興が財産として残りベトナム戦争特需を独占出来き東南アジアで飛び抜けた発展した。 「1968年がその起点年になる。」 本来はタイ、フィリピンがベトナム戦争特需得る地理にあるが製造能力が出来ておらず風俗特需に終わった。 今でも両国は風俗繁栄してる。 日本の製造力はその後中国や韓国にとってかわられた、

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ーー1968年はベトナム戦争特需で日本が潤い始めた頃 餓死者が大幅に減り 朝鮮戦争特需で戦後の悲惨な状況は脱したが 利益は準賠償金、役務賠償原資に充てられた 製造技術の復興が財産として残り ベトナム戦争特需を独占出来き東南アジアで飛び抜けた発展 「1968年がその起点年」 お客様の「もうお腹いっぱい」「食べられない」は遠慮 合言葉は「腹減った~」が口癖 皆様貴重なご回答有難うございました。

お礼日時:2024/12/28 10:48

その他の回答(6件)

昔の日本は貧しかったですよ 途上国でした 朝鮮戦争、戦争特需で豊かになりました

最初に田舎と都会じゃ違います。田舎は当時農業が主産業です。だから食べるものはありました。一方、都会の普通はお金で解決することができました。できないのは都会の貧乏人です。だからみんなというのは間違いです

表現は兎も角、1968年はベトナム戦争特需で日本が潤い始めた頃。 餓死者が大幅に減り衰弱死と言い換えられた。 朝鮮戦争特需で戦後の悲惨な状況は脱したが、特需で得た利益は韓国の経済復興、中立国への準賠償金、役務賠償原資に充てられて余り生活は良くならなかった。製造技術の復興が財産として残りベトナム戦争特需を独占出来き東南アジアで飛び抜けた発展した。1968年がその起点年になる。 本来はタイ、フィリピンがベトナム戦争特需得る地理にあるが製造能力が出来ておらず風俗特需に終わった。 今でも両国は風俗繁栄してる。 日本の製造力は周辺国に取られた。

ーー1968年はベトナム戦争特需で日本が潤い始めた頃。 餓死者が大幅に減り衰弱死と言い換えられた。 朝鮮戦争特需で戦後の悲惨な状況は脱したが、特需で得た利益は韓国の経済復興、中立国への準賠償金、役務賠償原資に充てられて余り生活は良くならなかった。 製造技術の復興が財産として残りベトナム戦争特需を独占出来き東南アジアで飛び抜けた発展した。 「1968年がその起点年になる。」 本来はタイ、フィリピンがベトナム戦争特需得る地理にあるが製造能力が出来ておらず風俗特需に終わった。 今でも両国は風俗繁栄してる。 日本の製造力はその後中国や韓国に取られた。

戦前からすでに生活は豊かでした。ただ、古今東西どこの国にも貧しい家はありましたがそれは今も変わらない。親ガチャで失敗して借金だらけだったり弱い身体で生まれて働けなければ貧しくなるのは仕方ない。

家庭ごとの違いは大きいでしょうね。 僕の親は1958年生で、その世代にはよくある「もうお腹いっぱい」「食べられない」を全て遠慮と捉えるタイプだったのでそんな感じと言えると思います。