ご質問は「教科書レベルで」と言う話ですよね。
教科書にも、「あそこは右寄りだ」と言われるような出版社もありますから、今でも表現が微妙なんですが、全体的には「諸説ありますが・・・・1185年・・・・・幕府が開かれました」みたいな書き方が主流になったのは、「10年ちょっと前」くらいからですね。
ただ、俗に「教科書は100年遅れている」とも言われる、50年とも言いますが、そういう存在で、大昔から「研究者のレベル」では、いろいろに議論がある訳です。
この問題は、「新事実がわかった」とかでなく、「解釈が変わった」だけですから、言っちゃえば、「840年前から議論がある」話なんです。
だから、今でも「頼朝が征夷大将軍になったのは何年ですか?」と聞かれれば、一応の答えは「1192年」なんです。
ご質問にあるように、1185年守護・地頭設置、その時を始まりにすべきだろう、という一応の合意が、最近、成った、ということです。
これには、「幕府とは、そもそも武家政権とは何か?」と言う問題で、江戸幕府は確かに「征夷大将軍」を初めから「根拠」にしていますが、少なくとも「鎌倉幕府はそうでは無かった」というのは、実は以前からある程度知られた事実でもあったんです。
この問題は、要するに、「朝廷と幕府の関係の問題」で、言わば、「江戸幕府を倒して権力を奪取した明治政府の末裔」と言う関係にも影響していた訳です。
だから、「朝廷政治が混乱した平安時代末期」と「そこから登場した鎌倉政権」というのは、「政治的にヤバい問題点」だった訳です。
例えば、戦前、「北条氏」ってのは、「逆賊」として、ほとんど無視されていた訳です。
つまりは、「戦後、改めて議論が始まったことが、50年ちょっとして、やっと最初の合意に達した」というのが「1185年」なんです。
これからも、いろいろ変わる可能性はまだまだありますね、例えば、戦前は「実朝を殺した扇動者は北条氏」ってのが定説だったんですが、現在は「諸説あり」に変わっていますよね。
ともかく、実は「1192年の征夷大将軍就任は本当か?」と言う研究もあるんですよ、ですが、現在、それが決め手にはなっていない、でも、「建久3年(1192年)って、当時でもあんまり問題になっていないよね」みたいな点では、「‥‥確かに」みたいな合意はできてきた訳です。