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第二次大戦(のアジア・太平洋戦線)や、その他のある種の過去の軍事衝突について、連合国側の視点や客観的・中立的な視点で論じる日本人を、皆さんはどう思いますか?
第二次大戦(のアジア・太平洋戦線)や、その他のある種の過去の軍事衝突について、連合国側の視点や客観的・中立的な視点で論じる日本人を、皆さんはどう思いますか? また、今の時代になっても、このトピックスを、日本側の視点でしか論じられない方が多いことの是非を伺います(当時の日本政府機関もしくは軍幹部の視点と、末端の将兵や民間人の視点の相違や、軍国主義的/平和主義的か、保守的/否かの相違はあるとはいえ)。 私は、以下の意味で、これらの件は、少なくとも2024年現在では、多角的に評されてもいいと思います。 ①この軍事衝突には、相手側もいる。彼ら彼女らの視点も持つことが「国際的視野」であり、また「多角的視野」である。何より、現在の日本は、1945年以前時点以前に日本人だった人(とその子孫)だけの国ではない。移民やALT・外資系企業駐在員などのその他の外国人の存在を軽視できない国なのです。 (例えば、米軍側にしても、本土から、見知らぬ太平洋の島に送られた、末端の将兵の立場をお考え下さい。気候風土も異なりマラリア等の疾患の可能性もあり、何より日本兵に撃たれる恐れのある場です。物量が優れていたとはいえ、彼らに十分な物資を当局が与え支援した事は、むしろ当然に思われる) ②現在の日本人の大半(1945年以前時点以前に日本人だった人(とその子孫))は、最早この軍事衝突を直の経験で知る世代ではない。祖父母の問題と思う程度ならいいほう(祖父世代が軍人で、一部は戦死した世代)で、祖先の問題に感じる世代も多い。そういう世代に、兄弟姉妹・同級生・同僚など(ましてわが子)が戦死・戦災死したような感覚を持てるだろうか。 ③現在の日本は、余裕があり、今更「戦争に負けた、悔しい!」ような感覚にとらわれる必要がない。歴史的経緯に過ぎない。 ④2024年(あるいは2020年代)という時代は、他のジャンル、例えば流通論や、仕事の進め方や、児童・青少年の扱い(教育や、彼ら彼女ら向けの大衆文化等など)では、悉く、過去の流儀を否定する状況にある。1980年代以前など現在では近からぬ過去に限らず、直前の過去である2010年代さえも。そういう時代に、いまだこのジャンルでは1945年以前の考え方に固執するのは、不自然である。 にも拘わらず、「日本史」「歴史」カテゴリに限らず、国際的視野を好む、ある種バタ臭い感覚がお好きであろう方も多い「世界史」カテゴリさえ、未だ兄弟姉妹・同級生・同僚などが、戦死・戦災死したような世代や、そういう経験が濃厚な時代の感覚で、この軍事衝突を表することしかできない方が多いのは、不思議です。 私はゲーム感覚や頭の体操を兼ねて(逆の視点の方が頭を使うので頭がよくなると思うんです)、あるいは国際的視野から、結構、連合国側の視点や客観的・中立的な視点で見たり論じるのを好むんですが。
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