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昔の士農工商の商ってお金儲けは宗教?神道とか?でよくないとかいやしいみたいなのがあったから商って1番最後なんですか?なんかどこかのYouTubeで見たんですが。

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回答(3件)

その動画が何を言いたいのかは、見てない私にはわからんのですが、とにかく実際の話は、『士→農→工→商、と言う身分制度が江戸時代にあった』と言う間違えた思い込みは、『中国から日本に伝わった儒教で、商人をいやしい職業と考えるから、武士も儒教の影響を受けた江戸時代は、そうした考えで身分制度を作ったはずだ、と明治時代の人が思ってしまった事にある』、って事です。 現実は… 江戸時代には、士農工商は、『武士も農民も職人も商人もみんな』、つまり今風に言うと『国民全部』と言う意味で使われる言葉で、『武士が一番上で、その下に農民→職人→商人』と言う意味ではありませんでした。 また、江戸時代の身分の仕組みは、武士の下に(農民を指す意味での)百姓と町人(つまり、職人と商人)が同格でいて、更にその下に穢多非人(エタ・ヒニン)がいる、と言うものでした。 明治時代になると、身分制度が廃止され、『身分の違いはもうない。全ての国民は平等である』と言う意味で『四民平等』(この四民は、正しい意味の士農工商、つまり国民全部って意味)』ってスローガンが使われたのだけと、そのスローガンからの間違えた思い込みで、江戸時代は、武士→農民→職人→職人(→穢多非人)と言う身分制度があった、と思ってしまう人が出てきてしまいました。 何故、そんな思い込みがされてしまったか、と言うと… 中国では、儒教に、国を支えているのは汗を流して働いている農民で、作られたものの交換からもうけている商人は国を支えていない、商人はいやしい職業である、と言う考え方はありました。 一方、そうした考え方とはまた別に、(今風に言えば)『国民全部』と言う意味で『士農工商』と言う言葉も、中国では使われていました。因みに、士は、役人になりうる、あるいは現に役人になっている知識人階級って意味で、武士って意味じゃありません。この士農工商って言葉は、『(候補も含む)役人も、農民も、職人も、商人も、みんな』って意味で使われていました。 で、こうした中国の儒教の考え方も、士農工商って言葉も、中国から書物が日本に輸入されたので、漢文の知識がある日本人(専ら、朝廷に仕える役人。いわゆる貴族も含まれる)も、二つとも持つ様になりました。 江戸時代になると、徳川幕府が儒教(その中でも朱子学)を、いわば公認の学問にしたので、武士も漢文を通じて儒教を学びました。だから、江戸時代の武士も、士農工商って言葉は『国民全部』って意味と思いつつ、農民に比べて商人はいやしい職業とも考えていた訳です。 また、大名の領地の広さが、その領地で作られるものを米に換算した石高で表し、◯◯万石の大名とか言った表現があった様に、江戸時代は農業が基本に置かれていたのも、事実です。 しかし、江戸時代の武士にとって、『商人はいやしい職業』と言うのは、漢文を学んだ結果のイメージに過ぎず、現実にそうした仕組みを作るかどうかは全く別の話です。実際には既に申し上げた通り、武士の下に(農民を指す意味での)百姓と町人(つまり、職人と商人)が同列でいて、更にその下に穢多非人(エタ・ヒニン)がいる、でした。 が、明治時代になると、『江戸時代の武士は儒教の影響を受けていた』、『だから、農業に比べて商業を下に見ていた』(一応ここまでは間違いと迄は言えない)、『であるからして、江戸時代には、武士が一番上で、その下に農民→職人→商人、と言う身分制度があったのだ』、って言う、辻褄はあっているけど事実じゃない思い込みが出来てしまった、って事です。 その思い込みの原因はどこにあるか、と言ったら、突き詰めると、『国を支えているのは汗を流して働いているのは農民で、作られたものの交換からもうけている商人は国を支えていない、商人はいやしい職業である』と言う儒教の考え方にある、そう言う話です。 今でも、特にネットでは、自分の頭の中では辻褄があってる、ってだけで、あたかもそれが事実であるかの様に、ドヤ顔で語っちゃう人がいますよね。それと同じ事が明治時代に起きてしまった、って事です。 長々と失礼しました。

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士農工商という単語は明治時代に出てきました。 その出典は中国の歴史の士農工商です。 つまり、江戸時代に士農工商はなく、商人が最下位という証拠もありません。 なので、今の教科書の多くに、士農工商の文字は消えています。

儒教の考え方によるものです。 商が1番最後とされるのには、生産者である農・工と違って、他人が生産したものを売るだけで生計を立てている生業のため、と言われています。 しかし近年、教科書などから身分制度としての士農工商の言葉が削除されており、士農工商に分類するには足りない程、様々な職業人が生活をしており、また、実際には農工商の人々の立場は同じで身分の差は存在しなかったという見方が強くなっています。