新政府側が
朝廷より討幕の密勅を取得し倒幕に打って出ようとする
しかし、将軍=慶喜公はその対抗策とし
大政奉還を朝廷に奏上し
倒幕は出来ませんよと新政府側を黙らせた――――――
この慶喜公の対抗策に対し
新政府側=岩倉具視は、逆襲の王政復古の大号令を発動し
朝廷を牛耳っていた将軍家と五摂家を牽制
結果
慶喜公は朝廷での官職と土地も取り上げられ涙目となる……
その頃の江戸では
新政府側の別動隊の、薩摩御用盗が幕府側を挑発しまくり
結果、幕府側は新政府側=薩摩藩の江戸藩邸を襲撃するに至る
ここに、
幕府側と新政府側=薩摩藩が交戦状態に入ったと認識され
京都御所の新政府側=薩摩藩=西郷隆盛は
武力による幕府討伐の口実を取得する事となる
しかし慶喜公は
朝敵にはなりたくないと二条城から大阪城に兵を引き
新政府側との武力衝突を巧みに回避しますが
この時、慶喜公は
運悪くインフルエンザに罹り床に伏してしまいます
このように
慶喜公は武力衝突を避けようとしていましたが
一連の新政府側の計略や挑発に怒り狂う
幕府側の会津藩、桑名藩は非常にエキサイトしていました
そして、怒れる会津・桑名は
インフルエンザから快癒したばかりの慶喜公に対し
新政府軍を叩くために京に攻めに行きたいと進言――――――
それに対し
インフルエンザが治ったばかりの
心身メロメロの慶喜公は「勝手にせい」と応答――――――
( あれほど、武力衝突を回避しようとしていたのに )
結果
京都で新政府側と幕府側の武力衝突が始まり
新政府側は、新式野砲で幕府軍への精密砲撃を繰り替えし
また縦に伸びきっていた幕府軍を、新政府軍が側面攻撃によりフルボッコ
そして、誰が何をしたのか、
京都は何者かの放火によって火の海に――――――
この報に触れた慶喜公は
青ざめて大阪城を脱出し江戸城に向かい、幕府軍の士気はダダ落ち
その二日後、新政府軍は大阪城に入城
あとは、新政府側の思惑通りに幕府討伐が進められます
↓
紀州藩は、新政府側に幕府討伐の資金援助し
尾張藩は、新政府側に討伐道中の道案内に加え
新政府軍に兵を参加させ北陸方面に派兵――――――
そして
江戸無血開城、上野戦争
長岡城の戦い
会津の戦い
五稜郭の戦いを経て戊辰戦争は終結します