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はじめに非国民で 尊敬が足りなかったら 申し訳ありません。第二次世界大戦 太平洋戦争で 私の先祖の兄弟が徴用兵となり 外国で死にました。当時

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回答(14件)

昭和天皇が、停戦や降伏の命令をしなかった訳。 降伏して、処刑されるのが嫌であった。 もし降伏しても、自分の命が保障されるのなら、大勢の臣民(天皇の家来・奴隷)命が犠牲(死者)になってもかまわないと考えた。 アメリカに人体実験を差し出したなら、それが可能と思った。 アメリカがそれを受け入れたので、極秘の密約で人体実験が実行された。

天皇には統帥権があり、天皇の命令したことには誰も反対できなかった。 だから、戦争をやめることの最終判断をし命令することは、天皇しかできなかった。 他の回答で、「天皇は停戦しろや降伏しろと、直接命令するって立場ではないみたい。」とあるが、これはデマ報道である。 NHKも以前とは違い、戦争に関することは政府の圧力に屈したデマ報道をするようになってきた。 ここをきちんと見極める力が、国民には要る。

はだしのゲンの中沢啓治さんや戦艦武蔵の最期の渡辺清さんなどがあなたと同じ考え。 私はどうにもならない時期のことではなく、摂政時代、御父君がなぜ押し込められたのか、敗戦の後、近衛公自殺は御意か。という二つ。 ここらへんに。向こう40年余りに渡る失地帝としての「懲罰在位」の原因あります。 お嫌いだったといわれる大正天皇路線。狭くなった領土で空前の繁栄を遂げた日本は、昭和天皇にとっては当て付けかもしれません。 もろこしのひかりのぞめる神無月いずくものちよりかみかえりこず。

天皇と言えども法の下にありました。 建前上天皇に主権が、有る事になってますが各大臣、軍幹部には輔弼責任と言う物があります。 意見具申して天皇が裁可するのではなく臣下に決定権があります。 天皇は開戦前、戦争反対の意思を示す為に 「四方の海、皆同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらむ。」 と明治天皇の御製を詠みました。 個人的には親しいイギリス王室と敵対する事は望みませんでしたが、立憲君主の立場から開戦の詔勅に玉璽を押さない訳にいきませんでした。 しかし終戦時、ポツダム宣言受諾で政府の意見は二つに割れました。 広島・長崎に2発の原爆が落とされ講和の仲介を頼もうとしてたソ連に参戦されては一刻の猶予も許されない以上、超法規的措置としてポツダム宣言受諾を決定しました。 私が皇室を敬う気持ちとは別に、昭和天皇個人を深く尊敬するのは天皇位にあるからではなく国民をどこまでも守ろうとする方だからです。