>将棋で、
>名人なんてゴミみたいなもんだ。
>俺は、ゴミにたかる蝿だよ。
>という有名な問答がありますが、本当に至言だと感銘しました。
>反論できますか?
これは名人がゴミなわけじゃなく、むしろ大衆がゴミという事になります。
まずそもそもプロ将棋などという競技自体が、現代のプロゲーマーと同程度の代物に過ぎません。
将棋やゲームとは、本来は単なる遊びに過ぎず、
本来それ自体が利益や金を生み出す物ではなく単なる遊戯に過ぎません、そんな事は言われるまでもなく百も承知でしょう。
そして「プロ将棋」というジャンルを成り立たせている存在は、プロ本人ではなく「日本の一般大衆」です。
例えばアメリカにはプロ将棋などという概念は存在しません。
いくら将棋が強い人間が存在しようと、他人の将棋に金を出そうなどという人間が居ないのでアメリカでは金にならないからです。
将棋が金になるのは日本だけです。
日本の一般大衆の方々が何か心を惑わされて将棋に金を出すように仕向けられているに過ぎないのです。
大衆が将棋に金を出しているからこそ、番組が競技者に給料や賞金を出すなどして将棋が「金になる競技」として成り立っているに過ぎません。
つまり将棋の名人とはむしろ「大衆が生み出した金になる将棋に群がる蠅」です。
名人に対する挑戦者もまた「大衆が生み出した金になる将棋に群がる蠅ライバル」と言った所です。
将棋の名人や名人以外の同業者達は「ゴミと蠅の関係」ではなく、むしろ「蠅仲間」なんです。
また「名人なんてゴミみたいなもんだ。」程度の単なる会話が至言となるならば、
他の将棋以外の様々な娯楽競技における、同レベルの発言も至言として扱われるべきです。
逆に将棋以外の他の競技における同レベルの会話が至言とならないならば、
「名人なんてゴミみたいなもんだ。」の発言も全く至言でも何でもありません。
つまり「名人なんてゴミみたいなもんだ。」の会話は至言というよりは単なる、
「大衆の同調圧力によって強く言い伝えられている言葉」でしかありません。
つまり全て日本の一般大衆の方々が生み出した物に過ぎず、
何かをゴミと表現するならば大衆こそがゴミに相応しい存在だと思いますね。