回答受付終了まであと7日
閑居友の1部なのですが、「よき歌はまことにたやすく出で来難し。
閑居友の1部なのですが、「よき歌はまことにたやすく出で来難し。 祈りもすべき事なり」とありしに、蓮阿、その時、俗にて、何となく月読の宮に六年月詣でして、「もし給ふべき官途福禄あらば、それを止めて和歌の冥加を給はらん」と祈り申したるに、千載集に歌一首交じりたれども、名字を書かれず。また新古今に撮れたり。遺恨なるべけれども、開かに思ふに、さらさら恨みなくて、和歌を大事として他事をば知らずして、六十余回の春秋を送れり。 昔上人の言はれしは、「和歌は常に心澄む故に悪念なくて、後世を思ふもその心進む」と言はれき。この事まことなり。蓮阿満七十の年、「今は余念なし」と思ひて、家を出でてお念仏門に入りしより一向に浄土を求むるに、和歌を好みて心にて道心を好めば、まことに発心進み易かりけり。但し、この発心は和歌の心より進みて易きにあらず。月読の宮の御方便にや。その故は、かの六年祈誓の旨、神感の余りに、 蓮阿つひには往生を願はんずる者と知見ありて、祈り申しし和歌を好ませてその心を縁として発心に進み易からせていて往生の縁を与へんと御方便ありけるにや。今このことを思へば、老涙抑へ難きなり。かの六年祈哲の趣、もし偽りならば確かに神罰あるべし。の現代語訳をお願いいたします!!
文学、古典・5閲覧