日本史
「縄文人」の「Y染色体ハプログループ」は「D」という事でよろしいでしょうか? . ↓縄文人『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA#%E5%88%86%E5%AD%90%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84 ↑このハプログループ「D1a2a」はアイヌ人の75%に見られることから、D系統はかつての縄文人のものであると考えられている。但し縄文人のハプログループが「D1a2a」だけだった訳ではなくハプログループ「C1a1」も縄文人由来と考えられている。 ★「縄文人」3体について「Y染色体ハプログループ」が「D」である事が判明しています。 ↓根拠(エビデンス) ↓遺跡出土の古代DNA『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#%E9%81%BA%E8%B7%A1%E5%87%BA%E5%9C%9F%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3DNA ↑↓ ---------- ・韓国釜山加徳島の獐項遺跡(約6,300年前)から出土した「獐項8号人骨(Changhang 8)」のY染色体はハプログループD1a2a1(D-116.1, CTS10441)である。獐項遺跡からは日本産翡翠の装身具をはじめ、48体の人骨が出土した。その中で科学分析が可能であったのは17体で、1体からはヨーロッパ系の母系とも共通するミトコンドリアDNAのハプログループHが検出された。 ・北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800-3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体は、ハプログループD1a2a2b(D-CTS1824, CTS68)であった。これらにより「ハプログループD1a2a系統は縄文系である」ということや、D-CTS131が日本の南部から検出されていることなどから、「D系統は南方経由で日本に到達した」という、従来からの仮説が立証された。 ・佐賀県の東名遺跡(縄文時代早期末葉(約7,700 年前))から出土した人骨のY染色体は、ハプログループD1a2aであった。D1a2a2を定義する2つのSNPが見つからないことから、D1a2a1と推定された。 ---------- ↑塩基多型分岐図 ---------- M64.1 ※以下縄文人の系統 ---------- ★東京大学がY染色体ハプログループ「D1b(今のD1a YAP)」を「縄文人」に由来と特定しています。 ↓根拠(エビデンス) ↓東大、Y染色体の遺伝子系図解析で縄文時代晩期から弥生時代にかけて急激な人口減少が起きていたことが解明【日本経済新聞】 https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP512028_T10C19A6000000/ ↑日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析をすると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。 ↓添付リリース【日本経済新聞】 https://release.nikkei.co.jp/attach_file/0512028_01.pdf ↑系統1はYAP(注3)という特徴的な変異をもつY染色体ハプログループD1b(注4)に対応していることが示された。YAP変異は、形態学的に縄文人と近縁と考えられているアイヌ人において80%以上という高い頻度で観察されることが知られている。渡来系弥生人の主な母体である韓国人集団や中国人集団には系統1に属するY染色体が観察されなかったことも踏まえると、系統1のY染色体は縄文人に由来すると結論できる。 リンク:邪馬台国、卑弥呼、神武、渡来、日本人のルーツ、日ユ同祖論