菊池宏樹は「成功した側」の生徒です。部活も、スポーツも、勉強もちゃんと出来て、顔も良い、背も高い、女生徒とも普通に話せて交流できる。いわゆる「勝ち組」というやつです。タイトルになってる「桐島」同様、菊池宏樹はあの高校の中の階級社会で上位のグループの人間です。
ですが、その事に宏樹自身は「飽きて」います。なんだ、人生ってこんなものなのか、楽勝じゃん、でも、じゃあ何で続けてるんだろう、これに何の意味があるんだ?という疑問が彼を支配してるのです。彼は十代にして「生きることに飽きて」しまったんです。部活を休部しているのもそのためです。
もっと単純な言葉で言うなら「(俺の)生きてる意味って何だろう」ってことです。ただし、それは明確な疑問では無くて、薄っすらと宏樹の心の奥底にあったものです。
ですが、それが「桐島」の行動によって、はっきりと宏樹の前に現れてきます。
高校の中の上位グループ、「勝ち組」の中でも頂点に立つと言われている「桐島」は、突然部活を止めてしまいます。宏樹同様、部活も勉強もスポーツも人間関係も上手くいっていた彼が、いきなりその地位から「降りる」と宣言したのです、この彼の行動は「勝ち組」の生徒たちに動揺を呼び起こします。
宏樹もまた動揺します。自分と同じ「風景」を見ていると思っていた「桐島」は、自分が出来なかった行動に出た。何故そんなことができるのか。自分みたいに「飽きたら休部」でも全然問題ない訳です。ですが、「桐島」は休部ではなく退部という形をとった。いったい、何故?
その「何故」が分からないことで混乱していく宏樹を追うことで、「生きてる意味とは何か」「生きる「価値」とは何か」を問いかけたのが「桐島、部活やめるってよ」という物語です。
宏樹が泣いたのは何故か、それは宏樹自身にも分かっていないと思います。「カッコイイ」なんて人生にとって何も意味がない、価値がないんだと悟ってしまった宏樹には、それが哀しかったのかもしれない。あるいは、自分の人生には「価値がある」と認められたことが嬉しかったのかもしれない。答えは人それぞれです。
ラストシーン、歩いていく宏樹の背中で映画は終わります。その先に待っているのが何かは分かりません。その先に何が待っているのかは、見た人の数だけ答えがあるでしょう。