弘徽殿女御自身は直接何もしていません。実行犯は彼女の意を汲んだ女房たちです。
原文にはこうあります。
……御局は桐壺なり。あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。
渋谷訳はこう(カッコ内の語は不肖私が補いました)
……お局は(帝のいらっしゃる所よるずっと遠い)桐壺である。(帝が)おおぜいのお妃方の前をお素通りあそばされて、そのひっきりなしのお素通りあそばしに、お妃方がお気をもめ尽くしになるのも、なるほどごもっともであると見えた。(更衣が帝のもとに)参上なさるにつけても、あまり度重なる時々には、(弘徽殿女御方の女房たちが)打橋や、渡殿のあちこちの通路に、けしからぬことをたびたびして、送り迎えの(更衣の)女房の着物の裾が、がまんできないような、とんでもないことがある。またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を鎖して閉じ籠め、こちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもならないように困らせなさることも多かった。
具体的には、廊下に仕掛けをして更衣の女房達の衣装をみっともないことにしたり、通せんぼをしたりすることです。
ここで廊下に排泄物を撒いたという人もいます。『河海抄』の説を踏襲したものですが、私は疑問に思います。衣装が汚れたり損傷したりするようなしかけをしたとは思いますが、とくに穢れを忌む宮中でそんな真似ができるでしょうか。