日本三大の怨霊といったら「菅原道真、平将門、崇徳天皇」があげられますが、「日本最強の祟り神」といえばどれになりますか?

補足

AIに聞いてみた。異論はありますか? スサノオ(須佐之男命) • 天照大神との対立:スサノオは高天原で暴れ、姉の天照大神を岩戸に閉じ込め、世界を暗闇にしました。 • 八岐大蛇退治:恐怖の象徴である大蛇を倒し、守護神としても尊ばれるようになりました。 • 自然災害の象徴:嵐や台風などの荒ぶる自然を司り、祟りを鎮めるために丁重に祀られています。 大国主命(おおくにぬしのみこと) • 国譲りと祟り:天照大神の命で国を譲るよう迫られ、「立派な社に祀る」ことを条件に承諾しました。祀られなければ皇室に災厄が降るとされました。 • 『古事記』の記述:祟りが明記され、皇室からも恐れられる存在です。 • 出雲大社:現在も皇室から尊崇され、出雲大社で丁重に祀られています。

日本史 | 宗教690閲覧

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こんぴらさんとして祀られている大国主命と崇徳上皇の二柱が、最強の祟り神なのかもね。大国主命は崇神天皇の時代に疫病をもたらし、「祟り神」として恐れられたけど、出雲大社に祀られてからは国土の守護神として崇敬されてきた。一方、崇徳上皇は流罪の末、怨念を抱いて怨霊の一人となった。こんぴらさんで二柱が共に祀られることで、祟りと守護の力が合わさり、国家の平安を願う神々として信仰されてると。ありがとうございます

お礼日時:11/14 8:32

その他の回答(9件)

なんか知りませんが、平安京を置いた理由はこの地が何らかの封印の地でそれで怨霊から匿ってもらおうとしたみたいです。 平安京以前に松尾大社や八坂神社がありますがそれを繋げると巨大な十字になるそうです。 名前自体知られていないのは世界的にもタブーが多いです。

まずですね、本来の神社系の神は荒ぶる神はいても祟り神はいません 理由は日本人からすればそもそも普通の神が人間にとって面倒な存在であり、このため逆に神様を味方に付けてご利益を得ようって考えたんです なので元祖の祟り神は実は奈良の大仏の時で、実は仏教の考え方なんです (元祖祟り神は藤原広嗣です) で、祟り神の中の最強は菅原道真です この人は天神様って言われてますよね この天神様ってのは天津神のことで、人は死んだら仏になれれば良いのに この人は怨念がありすぎてアマテラス・スサノオランクまで行ってしまったって考えなんです なので本来は祟り神はいないが、祟ることで神になる人がいるんです そして最高ランクが天神(天津神)です

伊勢の神。 伊勢神宮の本殿では中央の地下にある「心の御柱」の真上に「八咫鏡(アマテラスの本体)」を平らに据えるんです。 イメージとしては鹿島神宮でナマズを抑え込む「要石」のような感じ。 「心の御柱」は神殿の構造材とはまったく繋がらない構造で、伊勢神宮は社殿全体で心の御柱を覆い、トドメに八咫鏡で封印しているわけです。式年遷宮で旧神殿を壊した跡にもそのまま残されて、二十年後の封印を待ってます。 神を「一柱、二柱」と数えるのも、これが始まりと考えるのが自然です。 崇神天皇の時、天皇に祟った二つの神を御所から除いたのですが、50年もかけて鏡の安置場所を探し歩いた結果、封印に効果的だとわかったのが伊勢でした。追い出されたもう一つの神が「大国魂」で、日本列島そのものの人格化。天理市にこの神を祀った神社は、すぐに燃えてしまい、御神体(勾玉)も失われています。つまり、あそこに神の本体はなかったのです。 心の御柱には、真夜中に幼女を巫女とした神事を行う慣例があって、つまり生贄の名残があります。神宮の重要な神事はみな真夜中に高位の神官と時には子供を加えて行うので、我々の目に触れることはないんです。 社殿の用材を伐り始める式年遷宮の最も最初に行う神事(山口祭)は山の中で小学生(童男)が行います。これも絶対秘密で写真一枚残っていません。(想像ですが木を切るにあたって生贄を捧げた名残でしょう) 二十年に一度、式年遷宮であれほど大規模に封印を繰り返す必要があるなど、なんて恐ろしい祟神でしょう。