簡単に書けば、A.⁽現代の“投資銀行”はナイですが⁾“本両替”等が、江戸時代は銀行業務を行って、巨額の富を蓄積していました。
ただ問題は、そうしたB.豪商達の投資先が⁽今と違って⁾限られていたコトです。
そこでハイリターンを求める彼らには、㋐大名貸や㋑町人請負新田の開発になってきます。
そして彼らが引き受けるリスクは、なかなか!
㋐藩による借金の踏み倒しや、㋑天候不順による不作で期待した収益を手に入れられないコト。
・・・ただ㋐“踏み倒し”については、1.“❶先々までの年貢米を担保として”抑え、また2.“❷利子が今と違ってベラボーに高く❸‘複利計算'で契約されていた”ために、❹“踏み倒される以前に元は取っていた”り、更に3.豪商の中には各藩から❺“扶持⁽給与⁾”を与えられていたりしますので、実はそれ程迄の痛手ではナイんです。
やはり問題は、㋑新田開発では“自然が大きなリスク”。
ただ、“投資”は、豪商に限りません。
まだ江戸時代、“株式会社”はナイ時代ですが、賢いですよ!
“❶19世紀初めの宿場町ですが、❷中堅の商人達が中心となって❸‘組合'を設立し、❹それぞれが資金を出し合い⁽=投資⁾を❺巨額の資金を元に、㋑“新田開発”を実施した例が報告されています。
・・・コレなんかは、名前は違っても、“組合=実質的な会社”を江戸時代の豊かな連中が編み出したと言えるでしょう。
そこでC.庶民レベルにまで階層を下げると、⁽“第二地方銀行”の起源となる⁾“頼母子講⁽たのもし・こうor‘無尽:むじん'⁾”は、庶民の“ささやかな投資”と言えるでしょう。
・・・・・※“頼母子講”とは?:鎌倉時代に始まり、江戸時代に流行した、“資金調達”、or金銭の融通のための“民間互助組織”。・・・その仕組みは、㋐“一定の期間”内に、㋑メンバーが㋒“掛け金”を出し合います。・・・そこで、㋓“集まったお金”を、くじや入札で決め、㋔当選者⁽or落札者⁾に、その金額の内の㋕“一定の金額”を給付⁽残金はプールし繰り越し⁾。・・・全メンバーにお金が行き渡った時、この“講は解散”。・・・そのうま味は、後になるほど“取り分が増える”ンですが、問題はリスク!・・・お金の管理をする“講主”が持って逃げる場合があり、“信用”できる人物が催す“講”でも・・・(>o<)
以下、少し詳しく書いて見ますので、よかったら読んでみて下さい。
A.現代の“銀行”に当たる業種は、存在。
ソレは“本両替で⁽←江戸/大坂では‘十人両替'⁾”、幕府公認の有力両替商です。
・・・・・※“本両替”の業務:・・・彼らは僅かな交換手数料で稼ぐ、“銭両替⁽脇両替or辻両替⁾”と異なります。・・・確かに、①“大店相手で換金もします。でも、②”幕府や藩の公金を預かり⁽例えば年貢売却代金他を/但し、ナンと無利子で!⁾、またソレを③送金したり⁽為替⁾、⁽信用に基づいて今の“小切手”帳にあたる:サインすると現金として扱われる⁾④“手形”を発行したり、⑤貸し付けをしたり・・・。更には、“仲間⁽今のカルテル⁾”を作っているので、⑥“三貨の相場⁽金・銀・銭⁾”を動かしたりしていくんデス。
B.江戸時代の投資
⑴.“豪商”たちの場合。
本両替等を初めとして、江戸時代には多くの豪商がいます。
また彼らは、㋐⁽幕府が認めた‘株仲間'で⁾“価格協定”が認められてるのと、㋑“税も営業収入に応じてかけられたたモノではナイ”し⁽“冥加”等⁾、本両替などは“利子を払わず公金を預かる”ンですから、まさにボロ儲けײ(^^ゞ
ただ問題は、現代と違って、たくさんの業種がないんです。
・・・・・※現代の“投資”:今は、いくらでも投資先がありますよね。・・・自分で言うなら、40年近く前に“金のネックレス35㌘⁽肩こり用⁾”を7万で買っています。コレを今売れば⁽金は7倍になっているので⁾、42万円の儲けになります(⁽14000円-2000円⁾×35)。・・・また“ドル・円”では、13年前に75万で1万ドルの“ドル貯金”をしていれば(円高の最高値:1ドル=75円)、今引き出すと約145万円Get。なので、75万の儲けに。・・・トニカク今は、リスクはあっても、メチャ色んなトコにいくらでも投資出来ますよね。
ですからハイリターンが目論豪商たちは、⁽踏み倒されるリスクが高いとしても⁾ⓐ“大名貸”や、⁽依頼主の幕府や藩との駆け引きが必要な⁾ⓑ“町人請負新田”に向かいました。
・・・・・※“町人請負新田”の例:例えば大坂では、一二を争う豪商の“鴻池屋⁽こうのいけ・や⁾”が単独で、⁽年貢上納を条件に小作料の徴収を幕府から認められて⁾請け負った、“鴻池新田”が誕生
⁽※※1706年完成/約1万200両で権利を買い、約160㌶Upを開墾。約1700石の収穫⁾。
⁽※※“四公六民”なので約1000石の手取り。その5割が小作分とすれば、鴻池屋は約500石→500両が毎年の利益。1両=10万円で計算すれば、約5千万円の収益に。・・・デスから投資額の12億円を、24年間で回収し、その後は災害等がなければ、純益に!⁾
⑵豪農の場合
彼らの余剰資金の運用も、限られています。
“投資”と言う面では、㋐金貸しや、㋑⁽没落する自作農⁾“本百姓”から土地を買い上げて規模を拡大したりする等々。
・・・ソコで彼らは、特産品に目をつけ、㋒その“問屋”として卸業者となったり⁽藍玉問屋や・・・⁾、㋓自ら商人として⁽在郷商人⁾都市へ売りさばいたり、または酒や醤油などの㋔醸造業を営む位です。
C.“投資家が企業等に直接金銭を渡して投資していたのですか?”ですね。
⑶.⁽現代なら“会社”になる⁾“組合”を作った“中規模の商人達”の場合。
“新田開発”には、“莫大な資本力”が必要。
・・・なので、“単独ではムリな”一般の豊かな商人たちは、“㋐組合を作り、㋑資本を出し合って”新田開発をしたりしています。
そうしたパターンで有名なのは、⁽東海道の51番目宿場町で繁栄する⁾“石部宿の商人達”を中心とした“組合”。
約34㌶を江戸後期の19世紀初め~末に開発。
宿場の居住者の81%が参加し、約4割が商人で、漢方医も1名いたり・・・と。
・・・つまりコレなんかは、“薄く・広く資金を集める”という意味では、実質“株式会社”の様なモノ。
・・・実際、世界で初めての“株式会社”と見なされるのは、⁽1602年に出来た⁾オランダの“東インド会社”で、“薄く・広く出資を募る”というのが、メチャ似ていますし・・・。
・・・・・※“オランダの“東インド会社”:この会社は、大勢の投資家に株式を購入してもらい、資金を集めます。・・・基本的には、“一航海”についての出資募集で、無事に船が戻ってくれば、利益を分配して⁽配当を出して⁾、この回は終了!
長くなりましたが、こんなんでどうデスか ( ^^) _U~~