小早川秀秋は合戦前に願っていたのになぜ酷評なんですか?

補足

願っていたではなく寝返っていたです失礼

日本史610閲覧

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前田利家と違い、彼は自分のイメージアップや世論工作をしなかった。あんな若いのに「アルコール依存症」で死。 頭はいいが、空気を読めず、それなのに気弱な性格で、それがめぐりあわせで大軍を率い、「関ヶ原戦役」に参戦というのは気の毒。戦後、悪評に耐えかね、酒浸りだったのでは?

西軍として伏見城を攻めたので、はっきり旗幟を鮮明にしてた訳ではありません。

多分、毛利勢全体に不戦という密約があったのに、其れを破って 参戦して、戦後にかなりの加増を受けたからでしょう。残りの毛利 は逆にかなりの減封されましたからね、そりゃ裏切りものと恨まれ て、尾ひれのついた悪評を蒔き散らかされるでしょう。

江戸時代に書かれた軍記ものによる印象操作でしょう。こうした 小説は悪役がいた方が面白いですからね。その悪役に仕立てられた だけだと思います。戦国時代なんて寝返りや裏切りは普通でしから、 此れは、寝返りや裏切りを悪とした武家諸法度が発せられた江戸時 代に書かれた書物によるものです。

関が原のことですか。 小早川秀秋は、最初から東軍です。 秀秋が西軍と書いているのは、映画、ドラマのことです。 創作の部分です。