ベストアンサー

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。 「言い得て妙」とはこの事です!(w

お礼日時:9/23 19:44

その他の回答(6件)

本命…井上(2軍での実績と断られにくい) 対抗…矢野(OBであるし阪神での実績がある) 大穴…新庄(日ハム退任の可能性。落合監督時の再来に期待) フロントから昇格…仁村徹(OBであり球団内情に詳しい) 本人自薦…山崎(意欲満点)

中日は生え抜きしかダメらしいですよ。 外様なら名古屋出身の工藤公康氏が以前から熟望されていましたが。 オーナーがダメ出しするとかで。残念ながら。。 まあ、競馬予想紙みたいのは7番目の回答の後に私が返信しておきました。 (w 何はともあれ、ご回答ありがとうございます。m(_ _)m

中日ドラゴンズ、強竜復活論❶。 というBlogから部分的に抜粋しました。 中日球団の監督人事を語る上で避けて通れないのが、中日新聞社の派閥争いです。 中日新聞社の前身は「新愛知新聞社」(新愛知)と「名古屋新聞社」(名古屋)です。ともに明治19年(1886年)創刊の歴史を持ち、今でいう名古屋市中区に本社を置いてバチバチのライバル関係であったようです。論調も新愛知は保守寄り、名古屋は自由主義(※左派とは異なる)とされます。 この両社が統合前にタッグを組んだのはたったの1回。昭和10年(1935年)に大阪から朝日新聞社と大阪毎日新聞社(現:毎日新聞大阪本社)がこぞって名古屋に本格進出を果たしたタイミングで、地域貢献なき進出は許されないと共同社説を掲げ対抗、朝日・毎日両社の拡販を阻止したことがあります。双方にとってよほどの危機感がない限り、犬猿の仲であったといえます。 新愛知・名古屋両社が表面的な対立を終結させ合併に動くのは「共同社説」から7年後にあたる昭和17年(1942年)のこと。ただ、これは双方の意思によるものではなく、国策として1県1紙の原則とするという統廃合命令によるものであります。これによって生まれた「中部日本新聞社」は、旧新愛知のオーナーである大島家、旧名古屋のオーナーである小山家が持ち回りでトップを務めるダブルオーナー制を、なんと今に至るまで頑なに守り続けています。社内でも「大島派」と「小山派」に分かれていると言われていて、合併から80年以上もの間、絶妙なバランスの中でガバナンスが守られているのです。 さりとて球団が大島派のみで支配されていたわけではありません。基本的に親会社の体制に左右されつづけるため、球団内も大島派と小山派で振り子のように揺れては戻しての連続。ただ特筆されるのは、昭和48年(1973年)に中日新聞社社長に就いた加藤巳一郎氏。子会社の不祥事が原因となり大島派・小山派双方のトップが更迭されたあとの抜擢とあって、自身は大島家が創業した新愛知出身であったものの、小山派の第4代社長である小山 龍三氏に近いため小山派と目されていて、両派閥の中間的ポジションから社内融和を進めていきます。この加藤氏が球団オーナー時代に監督に抜擢したのが星野 仙一氏。星野氏は立浪 和義(現在の中日Dragons監督)や与田 剛(前・中日Dragons監督)、山本 昌など次々に若手を起用、闘争心を全面に押し出したチームカラーが作り上げられていきます。しかし第一次星野政権が終わり、第二次星野政権が作り上げられた時のオーナーは大島派の大島 宏彦氏に移っていて、あろうことか今度は小山派が星野降ろしに動きます。小山派の大番頭・白井 文吾氏は平成12年(2000年)にオーナーに就任すると、翌年には星野氏を事実上更迭、ただDragonsへのパイプを維持して再び監督就任を目論む星野氏は自身が投手コーチとして連れてきた、もと阪急ブレーブスのエースピッチャー・山田 久志氏を監督に据えることに成功します。 蛇足だが、 大島派は、堅実派・ケチで有名(CBC) 小山派は、見栄っ張りで有名(東海) ※括弧内は、放送局 他にも星野監督が死去した際は、白井 文吾オーナーの時代。だから、お別れの会は中日球団主催ではなく、後援会主催で執り行われたとか。(ちなみに阪神は大阪市梅田で坂井オーナーが発起人となり、楽天では東京都高輪で三木谷オーナーが発起人となり、お別れの会が執り行われました。)立浪監督が誕生したのも、毛嫌いしていた白井オーナーが退任して、大島 宏彦・元オーナーの息子、宇一郎オーナーが就任したからだと言われていますからね。 中日球団は、立浪監督の失敗を「由伸の二の舞い」と見做して、コーチ・二軍監督等を経験していないOB解説者を次期監督に据えることは考えていない様です。ということは、内部昇格で落ち着くのかな?井上 一樹二軍監督か和田 一浩打撃コーチが最有力候補か?打線が課題だと言われ続けてきたから、責任者のベンちゃんの内部昇格は考えづらい。ましてやOBと言っても外様やし。となるとWestern Leagueで二軍を首位に押し上げた一樹君の内部昇格に落ち着くのかな?彼は、どちら派なんだろうか? 「令和の時代に派閥争い?」と首を傾げられるでしょうが、中日はYakultの様にFamily的な球団ではない。こんな派閥争いしている様では球団一丸なんて夢物語ですし、強くはなれないですよ。 長文・駄文、失礼しました!

監督問題でフロントがやかましい球団なので あたりさわらず井上2軍監督になりそう。 そうなると面白味がなくなるので 次の候補の和田さんが良いけど、 疲れ切っているし今の良くない現場事情把握しているので 立浪迷監督と一緒に退陣して断りそう。 やらせて面白そうなのが山﨑 武司さん 勝つには投手陣をとかどこでも言いそうなことではなく 中日に足りないのは打率250でも良いので30本HR打てる打者を 育てる、連れてくること。 まさにその通りだと思いました。 フロントが嫌っているからやらせないと思いますが。

私も和田さんを候補に挙げていました。 あの人、ひょっとして監督向き・・かしら。 あの人がやると、なんか周囲が明るくなるし。(ごめんなさい;) 基本表向きはポジティブで、厳しさと優しさの両面を持っている。 それと、伝統的に「中日は〇〇が強い!」っていうのが・・ 成績次第で出てくるかもしれませんよ!(またまた申し訳ない;) あと、やるなら多少、型破りで行って欲しいです!

私の希望は山崎武司かな。彼なら球団の命令を無視して長距離砲育成に走るでしょう。 おそらく中日という球団は若手の大砲を育成して活躍したり、チームが、優勝して年俸が高騰するのを阻止したいからワザと意味不明な采配や選手起用をして試合に負けるよう本社幹部らが監督やコーチに厳命してるのではないかとさえ思える。 本気で勝とうというチームならシーズンフル稼働が見込めない中田翔ではなく山川穂高に年俸4億を提示して獲得しようとするはず。 そもそも数年前から中日のトレードで獲得した選手は中田以外意味不明だ。中田は穂高を獲り損ねて、それでも大砲が欲しいのと、周りを引っ張り、面倒見のいい兄貴的な選手を入れたかったのだろう。 それ以外の加藤翔平、後藤駿太、加藤匠馬、中島、中田、板山、川越など、補強どころか若手有望選手らの試合に出る機会を奪ってるだけで若手育成を阻害しているとさえ思える。そんなオーバー30の伸び代のない他球団の戦力外をかき集めて、これから伸びる郡司や山本拓、アリエルなどを放出して全く意味不明である。 郡司もアリエルも移籍して現在、二桁本塁打している。この2人が中日にいたなら細川の前後をこの2人が固めて、それなりに相手に脅威を与える打線になってたはず。 石垣、石橋、鵜飼、ブライトなどの若手の選手は2軍で結果を出しているなら一軍で代打ではなく、ずっとスタメンで起用して、多少の結果に目を瞑ってやらないと育つわけがない。 中日は大きいのが打てる選手が欲しいのだから、毎年、身長185センチ以上体重85キロ以上の大柄な野手をドラフトで獲得していくべき。それ以下の小柄な打者は巨人の浅野のように高校通算で50〜60本塁打打ってるような選手以外、要らない。今季は近い将来の小笠原、高橋宏斗の流出に備えてドラフトは投手を中心に獲得していかないといけない。 中日の貧打は他球団の投手にとって余裕を与えるのでスタメンには大きいのが期待できる打者だけを並べた方がいい。 連打で点を取るのではなく一発で得点する事を考えたほうがいい。 1番センターブライト、2番ショート石垣、3番ファースト石川昂、4番ライト細川、5番レフト鵜飼、6番セカンド福永、7番サード高橋周平、8番キャッチャー石橋みたいに多少は大きいのが期待できるスタメンにするべき。