「オッペンハイマー」という映画を簡単に要約すると「世界を滅ぼすかもしれない「力」の誘惑に抗えず、その「力」を手に入れたが、そのあまりの大きさに後悔し、贖罪に自分を生涯責め続けた男の話」です。
映画は3つの時間軸があります。
①オッペンハイマーが原爆開発を手掛ける
②オッペンハイマーが共産主義者として聴聞会にかけられる
③オッペンハイマーがストローズにより公聴会にかけられる
映画の中のオッペンハイマーは、他人の気持ちを察することができない、ある種、壊れた人として描かれます。自分の行動が将来どういう禍根をもたらすかを想像できない人なのです。それが最終的に原爆開発につながった、というのが「オッペンハイマー」という映画の骨子です。
映画中、原爆を使うと、空気中に核反応が広がり、世界が滅びるという仮説が出てきたのを覚えてるでしょうか。アインシュタインにも相談しに行きますね。しかし、100%ではないが可能性は低いとして、オッペンハイマー達は原爆開発に踏み切ります。開発は成功し、実験の結果、空気中に核反応が広がることはありませんでした。恐れられていた世界の破滅はおずれなかった、ように見えます。
しかし、実際には、原爆開発競争は世界中に広がり、世界各国が核兵器を持つことになりました。オッペンハイマーが作り、米国が原爆を使ったことで、その「力」による「反応」は世界中に広がった。空気中に核反応は広がらなかったかもしれませんが、核兵器という「力」は世界中に広がり、それにより世界の破滅は確実に近づきました。
戦後、オッペンハイマーは水爆の開発に反対し続け、政府から「共産主義の裏切り者」のレッテルを張られ、公職追放されてしまいます(この辺は映画でも描かれてました)。その後、59歳でエンリコ・フェルミ賞を受賞するまで、名誉が回復することはありませんでした(この授賞式後のパーティが映画の後半で描かれてました)。
彼は生涯、自分がもたらした「力」の事実から目を背け続けたと言われています。日本に数回来日しましたが、一度も広島にも長崎にも行ったことが無かったのです。例え公職追放されても自国の水爆の開発に反対し続けたのは、彼なりの「贖罪」だったのかもしれません。
原作というか、元にした評伝「オッペンハイマー」の原題が「american Prometheus」、アメリカのプロメテウスというのは非常に示唆的です。プロメテウスはギリシャ神話に出てくる「神々の持つ「火」を人類に渡した人物」です。プロメテウスの「火」は、人類がコントロールできない「力」の象徴であり、プロメテウスはそのことで神々に永遠の罰を与えられます。
「オッペンハイマー」という映画もまた、人類がコントロールできない「力」を手に入れて、その罪と罰を生涯、いえ死んでもなお背負うことになった男の話なのです。