日本書紀の異伝についてです。 日本書紀には「一書に曰く..」と多くの異伝が収録されています。

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現在私たちの見ることが出来る、「日本書紀」は、720年に撰上された「日本紀」から、「天智―藤原系」により大きく改編を受けています。 「日本紀」の撰上時には、質問者の方の言われる「異伝」と言うのは、記述がなかったと考えています。 「日本紀から日本書紀への改編者」の、「心苦しい、心優しい、知ったかぶり」の心情の一端が現れているのではないかと思っています。 「日本書紀」に,何回かの記述がある、「後の人が良く考えて判断してください」や、「紫式部の日本書紀は嘘ばかり」や、「万葉集との齟齬」等を考えると、異伝は「一種のカモフラージュ」なのではないかと思います。 「異伝」でも、神話時代の所は「編者の知ったかぶり」の一旦ではないでしょうか。

1 「大和朝廷にとって都合のよい歴史を作り上げるという意図」という前提が間違っている。 2 異伝を収録することによって執筆態度の公平さを(対外的に)アピールして結果的に「大和朝廷にとって都合のよい歴史を作り上げるという意図」を達成する。 3 各地の有力豪族の伝承を無視できなかった。 などが考えられるのではないでしょうか。私見ですけど。 朝廷にとって都合のよい歴史を作り上げるという観点が完全に間違っているとは思いませんが、そこに重点を置きすぎると客観的な検証は出来なくなると思います。遺伝を伝える手法は、おそらく中国の史書を模倣したのでしょう。

一書の元が各氏族の家々の伝承だったとすれば、それを完全に消し去ることは、天皇家とその氏族を決定的な対立に至らしめるかも知れませんし、繰り返すと(いまだ豪族連合の性格が強い)朝廷そのものの弱体化・瓦解に直結します 無理な一本化は危険が大きいと思われます