諸葛亮は本当に人を見る目がないのか?
諸葛亮は本当に人を見る目がないのか? 「劉備に注意されたにも関わらず馬謖を起用し機会を棒に振った。魏延も使いこなせなかった。諸葛亮は人を見る目がなかったのだ!」との意見をよく聞きます。 しかしこれらは本当でしょうか? どうも少しの失敗例をあげつらって極端に諸葛亮を貶めている気がしますし、正直私は人材の少ない蜀でよく頑張ったと思います。 諸葛亮は蒋琬や費禕を抜擢。龐統、キョウイを評価。法正の不行も我慢し、関羽をなだめたりと人間関係にとても気を使っています。周りとそりが合わなかったと思われる魏延や楊儀も長年活躍させてきましたし(魏延とそりが合わなかったのが悪い、といえばそれまでですが)後に鎮北大将軍となる王平や鄧芝も重要な局面で使っていました。正直馬謖だけしか失敗例がないとおもうのですが・・・・。 諸葛亮は人材を見る目がなかったというより、チャンスに恵まれなかったのかと。 確かに劉備や曹操の人材眼はとても素晴らしかったとは思いますが、彼らも百発百中だったわけではありません。 どうも馬謖の失敗がとても響いてる気がします。 もちろんとても重要な局面ではありましたが・・。皆さんはどう思われますか? ※、とにかく諸葛亮は話題性の多い人なのでまたそのうち諸葛亮の質問を投稿させてもらうことにします。 そのときは回答をお願いします。
三国時代は戦乱の世ですが、後漢末の混乱に比べると安定してました。能力があれば大事を成し遂げられるわけではありません。魏延や李厳らが例です。彼らは実力のわりに元々の性格から晩節を汚しました。才能も大事ですが、信頼も大切ではないですか? 諸葛亮の立場からして益州出身者に大事を任せられるでしょうか?基本は才能ですが、 益州出身者より昔からの仲間のほうが打倒魏にかける思いも強かったと思います。
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