「徳川幕府のせいで日本の近代化が遅れた。信長が長生きしていたならその後の歴史は変わり日本は最先端軍事大国になっていたであろう」………先日高校の同窓会で日本史の先生

補足

徳川幕府がなかったら今頃つまり平成のは最先端軍事大国~~と言われてました。…極論すぎて聞いてて阿保らしくなりましたが、なかなかロマンのある説かなとは思います

日本史2,343閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

2人が共感しています

ベストアンサー

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん興味深い解説をしていただきありがとうございました。…どうやら先生の意見は架空の絵空事のようです。歴史シュミレーション小説の読みすぎかもしれません。…所詮歴史にIFはないのですね。

お礼日時:2010/8/14 0:04

その他の回答(8件)

江戸時代は、日本人の精神性が最高の時代です。幕末に来日した外国人が、日本人の精神性の高いのに驚いて、紀行文を書いてます。そして、これから西洋と交わり悪くなると予言しています。事実そうなりました。日本人は、戦争に負けた結果、西洋の論理思考文化に染まり、日本人の心は、西洋文化に征服、占領されています。だから日本人が、愛国心を持つ事は不可能です。日本人は、昔の思考パターンを忘れています。明治維新までは、情緒思考でした。現代は、西洋の論理思考文化に染まってしまい、情緒が理解出来ません。学校教育で、伝統文化を必修科目にして、情緒思考を復活する事が必要です。現代人は、脳を刺激する事が、理屈、論理で理解する事が、常識だと思っています。だから脳に論理思考の宗教に憑依されてます。だから娯楽、芸術も理屈や論理で脳を刺激する、美的な知的な遊びです。脳を刺激するので、心がストレスになります。当の本人は、心の癒しだと錯覚しています。現代人は、情緒が理解出来ません。論理至上主義の宗教に支配されてます。昔の日本人は 、理屈は脳を刺激してストレスになるので嫌いでした。だから娯楽や伝統文化は、脳を休めて、心を癒す、情緒があるものばかりでした。日本人は、情緒思考に目覚めて、論理宗教から抜け出しましょう。そして脳の論理から情緒の心の時代の、新しい世界の手本になりましょう

かつて信長は近代的思考持った革新的人物と思われていた時期がありました。そのため「信長が長生きしていたら日本の近代化はもっと早まっただろう」と考えた人々が沢山生まれました。これに明治維新以来の「徳川時代暗黒論」「鎖国失策論」が合わさって開明的=織田、閉鎖的=徳川というイメージがどんどん広がっていったのです。 しかし歴史学者の研究の結果、信長の行った事は近代的でも革命的でもなく、江戸時代に行われた鎖国も単なる孤立政策ではなく、当時の東アジア情勢を考えればまったく妥当な貿易制限策であったことが明らかになりました。 そもそも近代化といっても技術、資源、市場の成熟・獲得、資本の蓄積等様々な条件が必要です。16世紀末から17世紀初頭の日本にはそれら諸条件が殆ど揃っていませんでしたから「やろうと思えば出来た」なんてことはありません。結局歴史の歩みというのは一人の人間の意志で一気に進んだり遅れたりするような単純なものではないのです。

もし信長が日本を最先端軍事大国なんかにしていたら今の世界は日本のせいであちこちで戦争が起きているでしょう 秀吉がキリスト教を禁止しなければ今の日本はすごいことになっていたと思います

織田信長がやったことは、ほとんどが想像で後世かたられているそうです。 記録が残ってい無いからです。いちばんヒイキなしに書かれているといわれる 信長公記ですら、書いた太田牛一が死ぬ直前に、書き残しておこうと 書いているために、つまり、ご老公が大昔のことを思い出しながら書いている 記録だと承知で文献として利用しなければなりません。 つまり、信長がやったことが、政治にしろ軍事にしろ、本能寺の変で、 ほとんど失われ、その後継者とした豊臣秀吉は信長の施行を受け継いだ とはいえ、かなり秀吉のアレンジが多大に入っているのです。 だから信長がやったことは、現在は全く謎に包まれているといってもよく 今の日本で織田信長に関して、さもありなんと語られていることは大体、 推理の域を出ないのです。 さらにはコレは間違いないのは織田信長は天下統一を果たしておりません。 確実にいえるのは織田信長は室町幕府を滅亡させており、 時代を変えたことは間違いありません、教科書でも室町時代は 織田信長が終了させたとなっており、これはオオムネ妥当でしょう。 ところが天下統一など、実質的に日本を安定させた点では 豊臣秀吉が織田信長を結果的には凌駕していると思います。 しかし、秀吉は、長期安定体制を構築できず 二代目に滅亡。 徳川家康は、幕府を開き長期安定体制を構築しました。 これは一種の独裁体制だし、身内を第一にした、 外様には厳しい、一部の特権階級だけが恩恵を 受けやすい閉鎖的な体制ですが、また、いままで関西が首都圏だったのを 関東を首都圏になした実績は否定できないし、 戦乱が起きないことを異常なまでに留意し達成して維持した体制でした。

ID非表示

2010/8/7 10:37

ある程度は当たっていると思います。確かに徳川幕府のせいで日本の近代化が遅れた事実は否定できない。しかし、だからといって「信長が長生きしていたなら・・・」ともいえません。信長が高ころびしたように日本そのものが高ころびしていた可能性も否定できません。鎖国には功罪がありました。ところが現代人は罪の部分だけを過大視して功をまったく無視している。日本が開国したとたんに欧米からペスト・コレラが持ち込まれ大勢の日本人が無くなった。幕末・明治の頃です。しかし、その時代は近代疫学・近代医学が興っていたので、大流行に至らずに押さえ込むことができました。しかし、それがもし江戸時代初めに持ち込まれていたら中世のヨーロッパと同様、あるいはそれ以上の大流行で甚大な被害を招いたことは明らかです。開国ということは文明・科学が持ち込まれるだけではない。未知の伝染病、アヘンなどの悪癖、ブラックバスなどの獰猛な外来種が持ち込まれるということです。もし、これらにやられていたら「最先端軍事大国」どころではない。未知の海外イナゴが大発生して稲を食い尽くしてしまったら大飢饉どころの話ではすまない。日本史の先生であっても鎖国の功に気づいていない人が多い。古来から神と仏に祈ることしか知らなかった日本人にそういう未曾有の厄災が海外から持ち込まれていたら、いったいどう対処できたでしょうか。そう考えれば鎖国は日本人を救った偉大な叡智だったといえるはずです。ただし徳川幕府は鎖国にこだわりすぎたとはいえるでしょう。もっとソフトランディングに早期に開国する方策は無かったかとも考えます。動物・植物・昆虫の世界で、どれだけの種が在来種によって絶滅に追い込まれたことか。日本人が絶滅種にならないという保証など何一つありません。それが高ころびという意味です。最先端軍事大国になっていたであろうというのは余りにも脳天気すぎやしませんか。物事には何でも功罪が伴います。世界史的にみれば日本の開国は早すぎず遅すぎず、まずまずのタイミングだったと評価できます。無警戒に白人を受け入れて、あるいは追い払えずに人口が1/10に激減した民族は数え切れません。日本人は徳川幕府の偉大な叡智によって守られていたことを忘れてはいけない。