江戸幕府により近代化が遅れた、というのは具体的には鎖国による海外の科学その他の流入が遅れたということと思いますが、信長は関係ないでしょうね。なぜなら鎖国を始めたのは徳川秀忠・家光父子であり、1616年に出した「長崎・平戸以外への外国船入港禁止」が端緒となり、1647年までかけて徐々に制限していっています。当然、この時期には既に徳川家康は死んでいます。家康より8歳年上の信長は1616年には83歳ですから、まず生きていないでしょうし、この時期以降の政策は次世代にゆだねられることになります。ところが信長の嫡流の次世代というと信忠と嫡孫の秀信くらいしか事跡が残っていません。そして秀信は1605年に死去しており、1615年ごろには信忠も60歳近くになっており、隠居してる可能性が高いです。
以上より実際に鎖国が始まった時期には織田家の当主が誰になっているかすら見当がつきません。まして家臣団は主要メンバー(柴田、丹羽、羽柴、明智、滝川、池田、前田)といったところは病死していたでしょうし、池田恒興の息子輝政は兄の元助が生きているために世に出ていたかわかりません。旧織田系の子孫で江戸幕府の中枢を担った人物もいないので、この時期の織田家臣団は力量が全くわからない、ということになります。この為、鎖国路線なのか、開国路線なのか予想できないということになります。
そして、仮に開国路線をとっていたとして、どのような政体だったのか、またどのような人物を輩出するかによって、産業革命後のヨーロッパ列強のアジア進出に巻き込まれないかどうかが決まります。暗愚な人物が当主であり組織もしっかりしていないようだったらそれだけで蚕食されてしまいます。また、信長の寿命はあと20年(70歳くらいまで)と思うので、死去は1603年くらいになります。その時期までだと、秀吉のように国内の体制を固められず、諸大名連合以上の形はとりにくいと思います。その体制のまま時が過ぎれば中央集権化が江戸幕府ほど進んでいないので、インドのように各個に切り崩される可能性も十分にあると思います。
まあ信長生存というのは面白いイフと思いますが、全体的には信長が本能寺以後生きていたとしても残された寿命が少なく、その結果として不確定要素が多くなりすぎて日本史的な考察はかなり難しいですね。架空の歴史を描く小説にするなら読んでみたい気もします。