「発達障害」という表現について
「発達障害」という表現について 発達障害は病気ではありませんよね?ADHDやASDなど種類がありますが、誰しもが抱えているものでその度合いが大と出るか小と出るかの違いがあるだけだと聞いたことがあります。大と出る場合には社会生活上の不便が発生しやすくなるのだと思うのですが。 私の職場には、人のことを「発達障害がベースにある」と言うおじさんがいます。 自分の言い分が通らなかったり、仲良くできなさそうな人を見るとすぐ「発達っぽいな」「あいつも発達がベースだな」と陰で人のことを発達障害者呼ばわりします。近くで聞いてるだけでものすごく不快なのでやめてほしいし「(あの人)発達かな?」と話しかけられてもリアクションに困ります。かといって年上だし同じ職場の人なので敵対するのも面倒ですし「どうなんですかね(苦笑)」という感じでかわすしかありません。 でも、この考え方を元に考えると「発達」というのは本当に使い勝手がいい悪口じゃないですか?「あいつは身長が150センチだな」「あいつは目が一重だな」という目で見てわかる事実を言っているわけでもないから「発達障害だと思うのはあくまで主観だ、そういう要素があると言うのを言ってるだけ」と言われたら理論武装されたようで言い返すのが難しいし、忘れ物1個しただけでも「発達を抱えてる」と言えてしまうんです。また、発達障害には前述したようにADHDとかASDとか種類がある中で人のことを「発達」とまとめるのもものすごく違和感を覚えます。仮にその人が発達要害の何かを持っているとしても「発達」とまとめて言う表現は現代にふさわしくないな、とまで考えてしまいました。 「発達障害」という表現についてどう思いますか?
1人が共感しています