1985年10月。全日本プロレスワールドチャンピオンカーニバルにおいてのビルロビンソンとジャンボ鶴田。どちらが、人生の扉としての心情や矜持を感じましたか?
1985年10月。全日本プロレスワールドチャンピオンカーニバルにおいてのビルロビンソンとジャンボ鶴田。どちらが、人生の扉としての心情や矜持を感じましたか?
開幕戦の10月4日後楽園ホール大会のメインイベント。鶴田、天龍組対ロビンソン、ゴーディ組。ロビンソンはそれまで蓄えていた口髭を剃ってサッパリとして紫のパンツを黒に履き替えました。それは10年前の全盛期に新日本マットでアントニオ猪木と歴史的な試合をした時と同じ出で立ちでした。この大会でロビンソンは10年在籍した全日本マットをリリース。実質的な引退シリーズでした。この日を持って長年解説を務められた田鶴浜弘さんが勇退。時代の変わり目でした。ロビンソンは初心に帰ってエンジョイしているように私には見えたのです。 10月19日後楽園ホールGT移行大会鶴田対フレアー、長州対マーテルのWメインイベント15分一本勝負。ハイスパートの長州対マーテルが支持されました。鶴田は60分一本勝負の試合をして凡庸なまったりとした試合に。リングイン時にいつもの黒いパンツの上に羽織ったのは黒ではなく、若い溌剌とした時代の星が入った赤黒のハイカラなジャンパーでした。エースなのに何戻してるんだよとファンには不評でしたが、私はあれを見て初心に帰ろうとジャンボは思ったのではと。ロビンソンも鶴田もあの大会が究めた上がりの日だった。
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