仏教の形骸化だの葬式仏教とか言われるけど葬式仏教も立派な宗教なのでは? 私の大切な身内が何人か亡くなって葬式に出席したけど、つくづくそう思いました。

補足

戒名料に関しては寺や坊さんの収入源だし、仕方ないです。 お布施だと思えば良いだけです。 キリスト教の教会や聖職者も「寄付」にはこだわりますよ。 日本の仏教では寄付やお布施の習慣が廃れて収入源がなくなったので仕方ないです。 あと日本は昔から花代、指南料、薬代、化粧料など本題をずらす言い方をする慣習がありますし。 戒名料は坊さんの「出張読経代金」というべきものです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん、どうもです。 葬式は必要なものですが、 今の仏教界に問題点があるのも事実です。

お礼日時:1/18 17:31

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【日本の主な仏教】 1.真言系(高野山真言宗・東寺真言宗・真言宗智山派・真言宗豊山派) http://myodenjinet.web.fc2.com/shosyuhashaku-1-3.html ・2015年2月5日、高野山密教の権威だった高野山大学教授の息子・中村桜洲が、小5児童をナイフで10カ所以上メッタ刺しにして殺害した。犯行の動機は児童にからかわれたと思い込んだというもの。 ・高野山真言宗はトラブル続きで、資産運用に失敗、巨額の損失が発生していたことや、改革派と守旧派の激しい主導権争いなどがある。 ・「指導僧が修行僧を暴行」 真言宗 善通寺派の総本山 善通寺(香川県善通寺市)で、修行に来ていた男性が、監督する僧侶から「出来が悪い」などと言われ、修行していた道場で殴られたり蹴られたりした。指導・監督には男性僧侶2人が当たっており、もう1人の僧侶も暴行に気付いていたが止めず、寺幹部にも知らせていなかった。 ・「鎌倉の『満福寺』で住職の地位をめぐって父と息子が骨肉の争い」 満福寺の関係者によると、父親は寺の職員に対してセクハラやパワハラをしていた疑惑をはじめ、過去に暴力団関係者と付き合いがあった疑いもあり、それらを理由に息子らが弁護士を含めて話し合い、責任委員会で父親を解任する決議をした。本山の管長からも息子が住職に任命されていた。 これに父親が激怒し、現在も自分が住職であるとして横浜地裁に仮処分の申立てを行った。父親はこの10年くらい、ほとんど葬儀にも行かず、数年前まで毎晩のように横浜市内の韓国クラブに通って飲んでいた。本人も自慢げに『俺の行く韓国クラブは座るだけで何万円もするんだ』と言っていた。 ****** 2.禅系(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗) http://myodenjinet.web.fc2.com/shosyuhashaku-1-5.html ・「曹洞宗の住職・檀家暴行で逮捕」 鳥取県鳥取市細見の西光寺(曹洞宗)住職の石渡随法が、2014年11月24日、檀家男性とトラブルになり、男性のすねを数回蹴る等の暴行を加えた容疑で鳥取県警に逮捕された。石渡随法は、地域の寺の和尚としての責務を果たさない上、寺にごみをためたり、地域の行事を欠席したりするにも関わらず金の要求ばかりして、しばしばトラブルになっていた。 ・臨済宗大徳寺派「霊泉院」の僧侶を窃盗と麻所持で逮捕 ****** 3.浄土系(融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・時宗) http://myodenjinet.web.fc2.com/shosyuhashaku-1-4.html ・「浄土真宗本願寺派・潮見寺の僧侶 殺人容疑で逮捕」 徳島県徳島市に住む浄土真宗本願寺派・潮見寺の僧侶・来見佳典は、2014年12月16日、松山市の女性の首を刃物で切りつけて殺害した。 ・「真宗大谷派・明喜寺の僧侶を殺人未遂で逮捕」 愛知県稲沢市平和町にある明喜寺の僧侶・大野賢了が、2015年8月31日、友人の住職を包丁で切りつけ殺害しようとしたとして殺人未遂の疑いで逮捕された。 ・浄土真宗本願寺派の僧侶「林川陽太」を、2023年5月、SNSで知り合った11歳の女の子にみだらな姿の動画を送らせたとして愛知県警が逮捕した。 ****** 4.日蓮宗 http://myodenjinet.web.fc2.com/shosyuhashaku-2-1.html 「大荒行で死亡」 大荒行とは、百日間、全国から大勢の僧侶が集まって行われる難行苦行のこと。 荒行僧の1日は、早朝2時に起床し、朝3時から夜11時まで、1日7回、寒水に身を清める水行、さらに、万巻の読経や相伝書の書写行などが行われるという。 しかも朝夕2回、梅干し一個の白粥の食事、衣服は白木綿単衣と麻の如法衣、足袋は許されず、「あかぎれ」して化膿した足を引きずり、飢えや寒さ、睡眠不足に耐えるというから、常軌を逸した修行である。 平成10年、12年、18年、25年に修行者が死亡している。 大荒行の目的は、日蓮宗に伝わる「加持祈祷法」の資格を取るためで、加持祈祷の資格を得た日蓮宗僧侶は、家内安全、身体健全、病気平癒、商売繁盛、子宝成就、安産、厄除け、試験合格、土地のお清め、自動車の安全祈願などを行うことが許される。 この資格を得るために、荒行に励み、資格を得て祈祷をしても何の利益も具わらず、かえって罪過を積むばかりです。

信じてもらえないかもしれませんが、「不幸・不成仏」の根本原因は邪宗教です。 正しい宗教を正しく信仰すれば人生は正しい方向へ行き、幸福になっていきます。 【正しい宗教の判別方法】 全ての宗教を相対し、どれが正しい宗教なのかを判別するのが「五重の相対」です。 【五つの相対】 「内外相対(ないげそうたい)」 「大小相対(だいしょうそうたい)」 「権実相対(ごんじつそうたい)」 「本迹相対(ほんじゃくそうたい)」 「種脱相対(しゅだつそうたい)」 https://honmyoji.sakura.ne.jp/hondo/%E4%BA%94%E9%87%8D%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

導師を務める坊さんが仏教を学ぶことです。そうすれば儀礼を仏教教理で説明できます。 戒名についてもどういう意味があるのか?戒体発得の説明もすべきです。戒名料は授与手数料であって命名手数料ではないことも説明すべきです。遺族が戒名を付けても戒名料は安くはなりません。それを承知なら遺族に付けさせてもいい。戒名付けなければ納骨させないなんて言うバカもいるらしいけれど、こう言うバカ住職は本山が指導すべきです。 一番肝心なのは功徳を過去精霊に回向できるということです。大乗は勿論、パーリ経典も功徳の他者への回向は承認しています。 読経・写経・称名念仏・真言念誦、等々の功徳は故人・他者へ回向できる(振り向けられる)のだから遺された者が功徳を積んで故人に回向すればよいのです。 日本仏教は葬式仏教でも【仏がいる】・テーラワーダ仏教(タイやミャンマー、スリランカ等)はブッダがいない外道。 「儀礼を欠いた宗教は幽霊のようである」鈴木大拙。 日本仏教世界最高を立証します。 以下、長いので読まなくてもよいです、気が向いたら読んでみて欲しい。 コピー: 三宝は敵対している。最近、三宝(仏・法・僧、ブッダ・ダルマ・サンガ)を「天敵が駆逐する」という関係で見ると仏教の歴史・現代の仏教がうまく説明できることに気付きました。 ブッダはサンガの天敵・ブッダはサンガを駆逐する。 ダルマはブッダの天敵・ダルマはブッダを駆逐する。 サンガとダルマはオトモダチ。 日本にはサンガが無い。何故か?サンガの天敵、救済能力のあるブッダ(現在仏・阿弥陀如来や大日如来、マンダラの諸尊・・・)がいるからである。 タイやミャンマーにはサンガがある。何故か?サンガの天敵、救済能力のあるブッダ(現在仏・阿弥陀如来や大日如来、マンダラの諸尊・・・)がいないからである。 ブッダはなぜサンガの天敵なのか?ブッダはなぜサンガを駆逐するのか? ブッダは救済者であって求道者ではない、縁起説(有為法の虚在を信じる)を説いたから救済者である・一元論(無為法の実在を証する)を説かなかったから求道者ではない。 救済者ブッダは被救済者=弟子にブッダ帰依する【意思】を要求する=他力・易行、ダルマ帰依する【能力】=自力・難行を要求しない。 「知者の振る舞いをするな、一文不知の尼入道になれ、愚痴に還りて成仏する」まさに法然。 智慧第一・法将軍シャーリプトラにならなくて良い、パンタカになれれば良い、「才市は親様が恋しい」浅原才市になれれば良い。 ダルマ帰依する能力=知者の振る舞い=ゆゆしき学匠はブッダ帰依する意思を阻害する。だからブッダが言う「サンガは私にたよらない」智慧第一・法将軍になるダルマ帰依【能力】のある者がブッダ帰依する【意思】を持つわけがない。 ジャータカでは菩薩は畜生も救う、在家と出家を区別するなんてあり得ない。仏教とはブッダ帰依教である、ブッダ帰依教とは現在仏信仰である、現在仏が救済能力を発揮している仏教国に「ビクサンガ」なんて存在するわけがない。 【救済者ブッダは被救済者・弟子に出家を要求しない】 【ブッダはサンガを駆逐する。仏教が純粋ならサンガは存在できない】 【ブッダがいる】必然的に【サンガはない】日本仏教。 【サンガがある】必然的に【ブッダはいない】テーラワーダ。 【ブッダがいればサンガはない・サンガがあればブッダはいない】 ブッダアスティ→サンガナースティ・サンガアスティ→ブッダナースティ ブッダのいる国はサンガが無くても仏教国。 ブッダのいない国はサンガがあっても外道国。 日域はブッダ相応の地 聖徳太子以来、空海・覚鑁・源信・源空(法然)・親鸞・・・南山(原文:南都)北嶺のゆゆしき学匠(原文:学生)から一文不知の尼入道・妙好人に至るまで、「歴史的実在ではない・名称だけ・架空の」阿弥陀如来や大日如来、マンダラの諸尊に帰依して・拝んで・称えて・・救いを実現してる。 救済の実現には救済者が「歴史的実在」である必要がなく、救済ストーリー=方便が「虚在」すれば救済が実現することは日本仏教史を見れば明らかです 日本は世界最高の仏教国です。 日本では>ゴータマ・ブッダへの関心が低い< 当然でしょ、救済能力のない過去仏なんだから・・・死体は草履なんでしょ?後有を受ければ=輪廻すれば=有為法なら草履になれる、後有を受けない=輪廻できない=堕無為する、から草履にすら成れない!! ブッダに救済能力の有無を問わない=救済に無関心。救済能力のない過去仏を形式的に供養するというサル芝居は仏教徒として「不誠実な生き方」です。 誠実な仏教=日本仏教・不誠実な仏教=テーラワーダ・・・

既成(葬式)仏教のことをえらく褒めちぎっていますが、質問者は既成仏教の関係者か何かなのでしょうかね。 >葬式は大切なもの、立派な宗教行為だと思いました。 その「大切で立派な宗教行為」である葬式に私は出席したことがありますが、こういうことがありましたよ。 僧侶が読経をしてはいましたが、そのやり方は実にいい加減なもので、何を言っているかわからないものでした。読経が終わり、遺族がその僧侶にお布施をわたすと、その僧侶は、「もらうものさえもらえば、あとは用はない」と言わんばかりに、遺族へのお悔やみや参列者へのあいさつもろくにせず、即座に逃げるように帰っていきました。皆、唖然として呆れていましたよ。このようなことについて、どうお思いでしょうか? こんな葬儀でも「大切なもの、立派な宗教行為」なのでしょうか。こんな心のこもらない葬儀をしてもらうくらいならば、「直葬」でもしてもらい、海に散骨でもしてもらったほうがよほど有意義ですよ。 事実、世間では、僧侶を呼ばない「家族葬」「友人葬」を行う人が右上がりに増えています。葬儀に心がこもっていないのに、高額なお布施やお車代といったお金を取られることに対する、世間の僧侶や既成仏教への不信の何よりの現われです。 そもそも、仏教では、「葬儀で僧侶が祈らねば、故人は成仏できない」という考えはありません。このような考えが生じたのは、キリスト教の拡大を阻止ししようとした、既成仏教を利用した宗教統制政策である、江戸時代の「檀家制度」に伴ってのことであり、仏教の本質などではありません。仏教の創始者・釈尊は、「私の葬儀は在家の人々に任せ、出家者、すなわち僧侶は、修行に専念していきなさい」(大般涅槃経)と訓戒し、自分自身の葬儀にさえ、出家の関与を許さなかったのです。 所詮、葬式仏教というものは、仏教の本質などではない、形骸化したものでしかないのです。「葬式は大切なもの、立派な宗教行為」どころではありません。単なる「ビジネス」と化している感さえあります。 「ビジネス」を「立派な宗教行為」というのであれば、世間での営利企業や団体は全て「宗教行為」を行っていることになります。独善的な牽強付会の屁理屈を展開し、葬式仏教の擁護に躍起になっている質問者は、やはり「葬式仏教」が消滅しては困る立場にあるようです(笑)。

正しい教えを信仰していないなら故人の成仏は叶いません。 表面上の形を整えるよりも真実の仏法を求めていく気持ちが大事です。

葬式は宗教儀式です わたしは、現代仏教が葬式を生業にしているように思います 不満です

あなたの言う通り僧侶や寺の生業かもしれませんが、 葬式によって遺族が少しでも救われ、心に区切りがつけられるのなら、それはそれで良いと思います。 この気持ちは大切な身内を実際に失って葬式に出席してわかるものです。 私の場合は親の葬儀を行って初めてわかりました。 そのためには坊さんにお金を払って抵抗は特にありませんでした。 坊さんは葬式でお経読んでもらって少し話しをするだけにしろ、葬式では大切な存在ですから。 子供の頃の葬式出席は正直も自分の遠縁の人が亡くなった場合か自分もまだ子供だったので良くわからなかったですから。