まず、「城の崎にて」は志賀直哉が交通事故で大怪我を負ったあと、静養のために城崎温泉へ滞在した体験をもとに書かれた随筆的な小説です。作中では、自然観察や小動物へのまなざしを通じて、「生と死」の観念や人間の存在を見つめ直す姿が描かれます。ご質問の場面も、作者が自然の小さな生き物を目にして感じたことが示唆的に描かれている部分です。 いもりが流れる水に集まっている理由 作中の「いもり」は、日本に広く分布するアカハライモリのような種類が想定されます。いもり（両生類）は基本的に湿り気を好み、水中でエサを探したり、身を守ったりする習性があります。 • 水に集まる理由: 1. エサが豊富: 台所や洗い場から出る水には、食べ物のかすや小さな生き物（虫など）が流れてくる可能性があります。いもりにとっては、比較的簡単に餌を得られる場所になるわけです。 2. 適度な湿気・温度: 流れ出る水が温かかったり、水が止まらず一定の湿度が保たれていたりすると、いもりにとって快適な環境になります。 3. 安全な隠れ場所がある: 建物の縁や水路の隙間など、自然よりも天敵が少ない安全な場所を得やすい場合があります。 そのため「宿屋の流し水の出るところ」にいもりが集まっていた、という場面は、いもりが生き延びるための本能的な行動（習性）と考えられます。 「自分がいもりだったらたまらない」という感覚 ここでの「たまらない」には、一般的に「耐えられない」「うんざりしてしまう」「いたたまれない」といったニュアンスがあります。しかし、どうして作者は“もし自分がいもりだったら”そんなふうに感じるのでしょうか？ いくつか考えられる視点があります。 1. いもりの境遇への想像 洗い場や台所の排水路は、人間からすると「汚い水」「残飯が混じっている水」でもあります。それに無自覚に寄り集まってきているいもりを想像すると、もし自分がそんな行動しかできない生き物だったら「なんだか情けない」「みじめな気持ちになる」という感覚です。 • “人間から見たら汚れた水だけれど、いもりにとっては生きるための水・餌場として必死に集まるしかない” • そういう生き方は「自分がやらざるを得ないとしたら、たまらない（いやだ）」という思い。 2. 生と死の狭間を意識した、無力感・やるせなさ 「城の崎にて」は志賀が大けがをした経験のあとに書かれており、自身の死を間近に感じたという背景があります。作中では、ハエやネズミ、小さな生き物が死んでいく様子を描くことで、人間もまた同じように生死の境目に立つ存在なのではないかと感じさせます。 • 「いもりのように小さく弱い生き物」と自分を重ねたとき、「ああ、自分も同じようにいつ死んでもおかしくない弱い存在なのかもしれない」という感覚。 • その弱々しさやはかなさを思うと「生きることがたまらない（むなしい、いたたまれない、どうにもやるせない）」という思いが湧いてきた。 3. “清濁”を問わず受け入れざるをえない存在への嫌悪や違和感 いもりは人間の排水を気にせずそこに集まっている。一方人間は「これは汚い」「あれは危ない」などと知識や常識で判断して避ける。しかし、いもりとして生きているなら、“そうした分別はできず、ただ本能でそこに集まってしまう”わけです。 • もし人間の意識を保ったままいもりとして生活するなら、その「何もわからずにただ汚い水に群がるしかない」状態は想像すると耐えがたい。 • そうした「あちら側の生き方」に対する嫌悪感や落ち着かなさが「たまらない」に込められていると読むこともできます。 まとめ • いもりが「宿屋の流し水の出るところに集まっている」のは、餌や水分補給に適した場所だから、つまり本能的な習性です。 • 作者が「自分がいもりだったらたまらない」と感じるのは、そのいもりの「弱さ」「汚れた水に集まらざるを得ない（選べない）境遇」「人間から見たらみじめな状況」を想像したときに、「もしも自分が同じ立場なら耐えられない」という共感や嫌悪、無力感が入り混じった感情が湧いたから、と考えられます。 • 志賀直哉自身が死に近い体験をした後で、そうした小動物の姿を通じて人間の生死・存在のはかなさをより深く感じていた、という背景も大きく影響しています。 したがって、この一文は**「人間（作者）といもりの違い」に対する想像が喚起する、やるせない気持ち**を示すとともに、「小さな生き物」から「人間の生と死」を見つめ直す志賀の視線を象徴している、と読むことができるでしょう。