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エドワード懺悔王(証聖王)が、デーン人との争いでノルマンディーに亡命していた時に、(後の)ウィリアム1世を後継として約束していたから、『その正当な権利を実現する為』… と言うのは、ノルマン側の記録が言っている事なんで、征服の正当化の為の"創作"の疑いもあるけど、ノルマン人の庇護を受け、帰国の支援を受ける為にエドワードがそう言ったとしても、特段おかしくはないです。つまり、ホントかウソかは断定し難いです。 一方、クヌート以降、デンマーク(&ノルウェー)王家とサクソン王家の間でイングランド支配を巡る争いが断続的に続き、エドワードが亡命先ノルマンディーで成人したのもその為で、更にエドワードとイングランド諸侯の中のゴドウィンとの争いもあり、おまけに、エドワードには子がなく、血筋としてはエドワードの異母兄エドマンド2世の孫エドガーが有力でもまだ年少、と言う状況からして、『反対する勢力だけを破ればイングランド王になれるのではないか』、と(後の)ウィリアム1世が考えたとしても、これまた不思議ではないです。 実際、結局はヘイスティングズの戦いでウィリアムに破れたハロルド2世は、諸侯や高位聖職者によって王に推戴されたものです。 ノルウェー王ハーラル3世も、ハロルド2世の弟トスティと共にイングランド北部に侵攻しています。(ハロルド2世に迎い討たれて敗死しましたが…) つまり、エドワード懺悔王が子を作らずに死んだ時点のイングランドは"狙い目"だったのは確かでしょう。 ウィリアム1世がエドワード懺悔王から後継指名されていようがいまいが、イングランド諸侯がまとまって対抗したなら、頭数からして、ウィリアム1世にはイングランド征服は無理ですからね。 実際、ウィリアム1世は、即位直後は、サクソン系諸侯もその地位を認めています。イングランドの封建領主が大陸系にほぼ置き換わったのは、即位後にサクソン系領主の反乱をウィリアムが鎮圧して行った結果であって、最初からそうしたのではありません。 って訳で、『反対勢力さえ叩き潰せばイングランド王位が手に入る』絶好のチャンスだったから、ウィリアムが一か八かの勝負をしたら成功した、って考えるのが良いでしょうね。
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お礼日時:1/3 11:15
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ノルマン人は1066年にヘイスティングスの戦いで勝利し、イングランドを征服しました。ノルマンディー公ウィリアム1世は、イングランド王位を主張し、アングロサクソン系の王ハロルド2世を打ち破りました。征服後、ウィリアム1世はノルマン系の封建制度を導入し、イングランドの政治と社会に大きな変革をもたらしました。ノルマン系の貴族が土地を支配し、王権が強化され、イングランドの文化や法律にも影響を与えました。
参考にした回答
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- https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13265338268
ノルマン人がイングランドを征服した主な理由は以下の通りです。 ・1066年、エドワード3世が死去し、イングランド王位継承争いが起きました。ノルマンディー公ウィリアム(のちのウィリアム1世)がイングランド王位を主張し、ヘイスティングスの戦いでイングランド軍を破りました。 ・ノルマン人は優れた騎士と重装甲歩兵を擁し、当時のイングランド軍を上回る戦力を持っていました。また、ノルマン人は弓術にも長けていました。 ・ウィリアムはノルマンディーの有力貴族の支持を得ており、イングランド遠征の際に多くの騎士を動員できました。 このようにノルマン人の優れた軍事力と、ウィリアムの王位継承権主張が、イングランド征服の背景にありました。
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