元WANDSのボーカル上杉昇が、中山美穂を恩人の一人だと追悼していましたが、WANDSがヒットしたのは、中山美穂とのコラボだったからですか?

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この曲のリリース当時、WANDSはそこまで大ヒットした歌手ではなかったです。1stシングルは最高位63位 2ndシングルは最高位80位 3rd「もっと強く抱きしめたなら」は初登場47位でしたし、「世界中の誰よりきっと」が発売されていた時にはTOP10にも入っていませんでした。 それが「世界中の誰よりきっと」のロングヒットもあってか、次第に上昇し、TOP10に入り、ついには1位にまでなり、その後WANDSの大ヒット作が続きました。 「世界中の誰よりきっと」は当時、ビーイングブームだったので、中山さん側からビーイングにオファーをしたようです。 そして「クリスマス向けのパーティ感」という依頼もあって、あのような大ヒットにつながりました。 TV出演も年末に大量に出演していたのでWANDSの知名度も相当上がったと思います。

いえ、お互いにメリットが充分に有ったからコラボをしたんだと思いますよ。 曲のクオリティが優れているので、中山美穂でなくても売れたと私は思います。 中山美穂としても、超売れっ子のビーイング系に歌手として参加出来た事は有難かったと思います!! 決して唄が上手い訳ではない彼女にとって、貴重な体験でした。

初ミリオンは「世界中の誰よりきっと」との相乗効果とも言われているからね。 小室バブル、avexバブル前にはBeingGIZAバブル BeingGIZA B'z、ZARD、WANDS、BBクイーンズ、チューブ、大黒摩季、DEEN、T-BOLAN・・・ WANDS(ミリオン越え) 1992年7月1日「もっと強く抱きしめたなら」 1992年10月28日「世界中の誰よりきっと」 1993年2月26日「時の扉」 1993年4月17日「愛を語るより口づけをかわそう」 1993年7月7日「恋せよ乙女」 1993年11月17日 「Jumpin' Jack Boy」 1994年6月8日「世界が終るまでは…」