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お願いします。 [江戸時代の身分]は、 ①天皇→②公家・将軍→③大名・旗本・御家人 →④藩士・旗本御家人家族→⑤藩士家族→⑥農工商 ⑦えた・非人、 と順次主従関係の繋がりがある、との事ですが、

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回答(2件)

こちらでも質問されていたのですね…。 既にある他の方の回答に、「天皇と将軍の間に主従関係があった」かのような部分を除けば特にケチをつけたくなるところはありません。(「天皇が将軍に対して主だった」というのは、「日本国憲法下では、天皇は内閣総理大臣の主である」というのと同じようなものでしょう。) …っていうか、 ~~ ①天皇→②公家・将軍→③大名・旗本・御家人 →④藩士・旗本御家人家族→⑤藩士家族→⑥農工商 ⑦えた・非人、 と順次主従関係の繋がりがある ~~ というのが、以前から知恵袋で「トンデモ回答」を濫発している人の創作品で、全くの論外、オヨビでない、ってだけですけどね… で、明治時代の華族とかがなんだったか、っていうのは、百科事典類を調べればすぐにわかりますよ。 コトバンク(↓)でひくと… https://kotobank.jp/ 山川 日本史小辞典 改訂新版 「華族」の解説 ~~ 華族 かぞく 1869~1947年(明治2~昭和22)の身分。版籍奉還後に公卿・諸侯を華族としたのが近代華族のはじめで,当初427家。84年の華族令で五爵制や世襲制などの特権が整備され,皇室を守護する者としての性格が確定。同時に勲功華族として薩長土肥出身者が大きく増加した。明治憲法制定後は貴族院議員の特権もえる。1907年の華族令改訂後,大正・昭和期に改革の動きがあったが,日本国憲法の施行による廃止まで続いた。 ~~ 最初は、公卿(=上級貴族)と諸侯(=大名)が華族だったけど、後に薩長土肥出身者が多く含まれるようになった(例えば、伊藤博文が最初は伯爵、最終的には公爵)、って事です。 山川 日本史小辞典 改訂新版 「士族」の解説 ~~ 士族 しぞく 明治維新後,旧武士階級に与えられた身分呼称。1869年(明治2)6月公卿・諸侯を華族,一門以下平士以上の藩士を士族とし,同年12月には旧幕臣も含めてすべての士分を士族または卒とし,従来の石高に応じて家禄が給されることになった。72年に卒が廃止され,国民は華族・士族・平民の3身分となったが,士族・平民間の法的な身分上の差異はなくなり,さらに秩禄処分・廃刀令などで旧来の特権も廃止され,多くの士族が没落し士族反乱などもおこった。その後身分としての士族は形骸化し,1947年(昭和22)の戸籍法の全面改正により士族の呼称は消滅したが,士族的な精神はさまざまな意味で近代日本国家の形成に重要な役割をはたした。 ~~ 要すれば、武士が士族になったのですが、比率的には極僅かながら、広義の公家とは呼べるが公卿じゃなかった朝廷の下級官人も士族になりました。 日本大百科全書(ニッポニカ) 「卒族」の解説 ~~ 卒族 そつぞく 明治初年、新政府が江戸時代の士農工商の身分制度を廃止した当時、短期間、旧武士の一部に設けた身分上の呼称。版籍奉還を契機に、旧来の身分制度は、華族、士族、平民に新たに区分され、再編されることになった。具体的措置として、新政府は、旧公卿(くぎょう)と諸藩藩主を華族にあて、また旧武士を士族に、農工商を平民と規定した。しかし、1870年(明治3)の藩制発布にあたって、旧武士層のなかでも旧足軽(あしがる)以下の下級武士を「卒族」と改称して士族の身分から区別した。その後、72年に新政府は卒族の名称を廃止し、彼らを士族と平民に分けて編入する措置を進め、75年までに完了した。 ~~ 旧武士の中の足軽身分が極一時期だけ卒族だった、という話です。卒族が亡くなり時には多くが平民に編入されました。 山川 日本史小辞典 改訂新版 「平民」の解説 ~~ 平民 へいみん 古代律令制下では公民・百姓と同義で,中世には課役免除の職人身分と区別して,荘園・国衙領の百姓を平民とよんだ。近世にはあまり使用されなかった。明治維新後に,華族・士族に対する一般人民の呼称として平民が採用され,戸籍にも表示された。穢多(えた)・非人身分は解放令で平民とされたが,差別的に「新平民」などとよばれた。平民には近代の平民主義に代表される自由や平等を表現する用例もある。 ~~ 要するに、華族(江戸時代の公卿と大名)でもないし、士族(旧武士に略々相当)でもない人達がひとまとめにされて平民です。 なお、卒族は短期間しか存在しなかったし、士族にしても、戸籍から消えるのは1947年ですが、特権を失っていったから西南戦争の様な士族反乱がおきた、言い換えれば「身分」としての価値は早々に失くなった、って事ですよ。 華族になったのは誰だ、みたいな話よりも、そちらの方がずっと重要じゃないか、って思いますけどね…

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>①天皇→②公家・将軍→③大名・旗本・御家人 >→④藩士・旗本御家人家族→⑤藩士家族→⑥農工商 >⑦えた・非人 まず、この矢印は主従関係をすべて表すものではありません。 例えば、藩士・旗本御家人家族は藩士家族の主人ではありませんし、農工商はえた・非人の主人ではありません。 さらに言えば、士農工商という区分は江戸時代には無かったというのが現在の定説で、教科書でも教えなくなっています。 また、なぜか家族をそれぞれひとつ下の階級に位置づけていますが、身分は「家」に紐づくので、この分類も意味がありません。 明治以降の分類についても誤りがあります。 >③大名・旗本・御家人→華族 大名は華族ですが、旗本と御家人は士族です。 例外的に大身の旗本の一部や身分の低い武士でも維新の功労者は華族になりますが、これらは例外に過ぎません。 >④藩士・旗本御家人家族→士族 >⑤藩士家族→士族 藩士でも身分の低い足軽層の藩士は士族ではなく卒族になります。 華族は戸主と同じ身分になります。 家の主人が華族で家族が士族などと言うことはありません。

ご回答ありがとうございます。 昨日から、いろんな方の指摘があり とても困窮しております。 >矢印は主従関係をすべて表すものではありません それでは、どの部分に主従関係があるのでしょうか? >士農工商という区分は江戸時代には無かったというのが現在の定説で、教科書でも教えなくなっています。 現在は、どんな区分になってるのでしょうか? >なぜか家族をそれぞれひとつ下の階級に位置づけていますが、身分は「家」に紐づくので、この分類も意味がありません。 それでは、どのような分類になってるのでしょうか? 以上、江戸時代の身分は、現在の定説ではどうなってるのでしょうか? 更に、明治時代の身分は、どうなってるのでしょうか? いろんな事問いて、誠に申し訳ないです。 日本史は、各時代のひと通りの流れしか殆ど理解してないです。