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西日本でY染色体D系統が殆ど残っていなくて東日本で多く残っていることからすると、単純に西日本で縄文人が虐殺されただけではなく西日本から日本人に追われて東日本に移住したが、

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回答(2件)

>西日本でY染色体D系統が殆ど残っていなくて そんなわけないじゃないですか。D系統はアイヌと琉球で極端に高く、東北なのでは出現率が40%くらい。西日本だと幅がありますが20~30%くらいです。たぶん写真の表を勘違いされてるんだと思います。 もともと縄文人(D系統?)は日本列島全体に住んでいました。しかし大陸からの渡来人(おそらく戦争難民)が流入するようになり、彼らは縄文集落と同化して稲作を行うようになりました。そうなるとより温暖な西日本が中心に人口が増えました。だから西日本でO系統やN系統が増えたんです。 縄文人と渡来人が対立していたような様子はあまりなく、普通に混ざったり隣接したりしていたと考えられています。言語は日本語(縄文語?)のままですしね。 稲作が全くできなかった北海道では中世まで純度の高いD系統が残りました。その後、オホーツク人のアイヌ民族に征服されて言語が変わってしまいましたが。

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あくまでも割合で会って縄文要素、渡来要素が100%とか0%とというわけではありません。どちらが優勢かの色分けです。

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縄文時代の推定人口は東日本96.4%、西日本3.6%という感じじゃなかったでしょうか。西日本では縄文時代の遺跡の数が非常に少なく、サンプルとなるような人骨も見つかっていない。 西日本の縄文人は大量の渡来人によって呑み込まれてしまい、遺伝的傾向としてはあまり残らなかったのでしょう。